2010/01/27

ミニアヒルちゃんと思い出の場所へ

大阪府立図書館のHPの「利用者のページ」がパワーアップし、
平成22年1月5日(火)から貸出期間の延長申込みがインターネットからできるようになりました。
「わ~い!便利になった!」と喜んで年明け早々5日に貸出延長しました。

今日はその3週間後・・・ つまり返却日だったのですヽ(*'0'*)ツ

買い物にはもう自転車で行っているし、ゆっくりだと大丈夫! かも。。。
昼からも日が差していたので、中之島図書館に返却に行ってきました。

どうせ行くなら、あの場所にも!

昨年、クリスマスイブの巨大アヒルちゃん。そう、八軒家浜です!


その頃、早咲きのチューリップはまだ咲いていませんでした。
でも、今日はこんな感じ♪
春、暖かくなってからのチューリップと違って、楽しめる時期が長そうですね。


今日は、レプリカのミニアヒルちゃんも連れてきました♪
やっぱ、ちっちゃ о(ж>▽<)y ☆  ↓どこにいるか見つけてくださいね。


そして、クリスマスツリーがあった場所。


そこにも置いてみましたが、、、やっぱ、ちっちゃ о(ж>▽<)y ☆


ちっちゃかっこいい!


では次は、初詣、あまりの人の多さで賽銭箱まで辿りつけなかった大阪天満宮へ。
今日は、がらがらなので、ゆっくりと参拝(。-人-。)


合格祈願の絵馬もすごい数になっています!


梅もちらほらと咲いていました。

赤♪


白♪


黄色♪ 


かわいいな~(*^▽^*)

周りに誰もいなかったから出来たこと。

さすがに帰ってからは、また腰がイテテ・・・になりましたが、
一月中には、大阪天満宮にきちんとお参りしておきたかったので。

よかった、よかった。

2010/01/25

弁当 Bento

直木三十五の「大阪物語」を読んで地図に印をつけたり、、、
幕末~現在の年表をエクセル形式に変換したり、、、
こちらのサイトの年表を基本にデータベース化すると、6783行になりました!
 これに五代友厚のことを加えていこうと思っているのです♪)

こんなことをしていると、今日も記事がないままになってしまうので、最近へぇ~と思った話題をひとつ。
BENTO 格好いい 日本製弁当箱 パリで人気 漫画、健康志向が影響?
西日本新聞 2010年1月23日

『食事を楽しむ文化が根強いパリで、日本製弁当箱に料理を詰める「BENTO」が「格好いい」と注目されている。』

こういうのがテレビなんかでたいそうに放送されても、それほどでもない・・・というのが残念ながらよくあります。

でも、Bentoはどうでしょう?

以前記事にしたBonsai(盆栽)を趣味として登録しているBlogger人数は、
http://www.blogger.com/profile-find.g?t=i&q=bonsai 7100

Bento(弁当)の人数は、
http://www.blogger.com/profile-find.g?t=i&q=bento 1300

盆栽には及びませんが、弁当もすごい!
(日本人では、「弁当」を趣味として載せる人は少ないですね。好きとしても「料理」かな?)
フランスだけに限らず、いろいろな国の人がBentoを趣味として登録しています。
Bento Blogを作ってられる方もいて、すごくかわいいお弁当の写真が載っていました。
ご飯を炊いて、おにぎりを作って、海苔まで巻いたり飾りに使ったり。
弁当箱もかわいいのをたくさん買って、日毎に変えて楽しんでいる方もいました。

我が家なんて、男の子だから、いつも同じ可愛げのない紺色の弁当箱で、中身は野菜や彩りより、肉!肉!肉!満腹感重視!(←食べる本人が熱望するので) って感じでしたが(;´▽`A``
高校も残るは卒業式だけだし、これで弁当作りも終わりかな?

後は、美味しいお弁当を作ってくれる彼女をみつけてねヾ( ´ー`)

2010/01/23

Googleはすごい!

私が使っているこのBloggerというブログはGoogleのアカウントで利用しています。
Googleアカウントをもっているということで、Googleの機能はいろいろと積極的に使っているのですが、これ↓は知りませんでした。

Google Docs にテキストを OCR する機能が追加予定?2009.9.29
こちら↑のブログの記事を見つけてさっそく試してみました。
・英文のみで日本語は出来ません。
・Googleアカウントが必要です。
こちらのフォームを利用して画像をアップロードすると、テキストが認識されて自動的に Google Documents に変換されます。
※OCR(Optical Character Reader)ソフトは画像ファイルを文字認識してテキストファイルを作ります。

大阪城の蛸石のガイドボード写真をアップロードしてみました。
Sakuramon Stone Square
Magnificent stone walls were built here to defend the front gate of the central Citadel. Scorch on the stone wall indicates the site ot Sakuramon Daimon (gate) [...] was burnt down in the civii war in 1868.The stone in the facade, called "Takoisì" or "Octopus Stone", is the largest stone in the Castle. The surface area of the stone is about [...] and its esti- mated weight is 13Ot. The stone on the left, celled the Kimono Sleeve Stone",is the third largest in the castle, with a surface area of 54and an estimated weight ot 12Ot_

赤で印をつけた部分(私がつけました)だけが読み取れませんでした。
手書きだとどうなのでしょう?
OCRもここまで気軽に簡単に誰でも利用できるといいですね(・∀・)

こちら↓のニュースによると、OCR精度をさらに改善しているようです。
Googleが「reCAPTCHA」サービス企業を買収,セキュリティ強化とOCR精度向上が狙い[2009/09/17]

こちら↓のニュースの「書籍デジタル化」というのも興味があります。
カーネギーメロン大学,画像認証を書籍デジタル化に活用するサービス「reCAPTCHA」[2007/05/25]

日本語は今どれくらいの精度で読み取れるのでしょう???
数年前、OCRソフトを使ったことがありますがダメダメでした。

青空文庫や、携帯文庫(新潮ケータイ文庫)は?
青空文庫はボランティアの手によりデジタル化となっていました。
携帯文庫の最近の作品は、作家自身がパソコン入力で原稿を書くので簡単なのでしょうか?
それともOCRで読み取って、修正しているのでしょうか?

しかし、明治、大正、昭和初期の本となると、旧漢字が入っているし、印刷もあまり状態がよくないので、OCRで読み取ることは難しいかもしれませんね・・・

最近知ったのですが、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーでは、明治・大正期刊行図書の資料本文をデジタル画像で閲覧することができます。

私の曽祖父の本も見れるのです(^-^)
でも、あくまで画像なので、テキストにはなっていません。

しかし、これがGoogleBooksになると本文検索で探せるのです!
曽祖父の本をデジタル化しているのはハーバード大学、カリフォルニア大学、ミシガン大学などアメリカの大学。
アメリカでは、明治時代の日本書籍もたくさん所蔵していて、日本語でもOCRでテキスト化できているということなのでしょうか???
しかし、検索できることはいいのですが、全文表示で読ませてはもらえないのです。
Google ブック検索のこれからによると、「研究者が機関を通じて申し込みを行うと」となっています。
身内ということではダメなのでしょうか(T_T)
どっちみち、英語で申し込みなんて所詮無理でしょうが。。。

大阪人としては、「郷土研究 上方」や、直木三十五の「大阪物語」がテキストでデジタル化して欲しいです。
読むのはもちろん有料でいいです。

これは、数年後にはOCRで実現するようなことなのでしょうか?
すでに日本の大学でも実現していること?
著作権やいろいろ絡んでややこしいのかな・・・

どうなのでしょう(-_-)う~む・・・ 今一番気になることです。

直木三十五 大阪物語 五代友厚

2010/01/18の記事「大阪をつくった男はやはり傲霜」ではこのように書き始めました。
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 「五代は、大阪の為に尽して、借金以外何一つ残らなくなって、その孫の行方さへ判らない。その努力に対して、君等は、一個の銅像を建てたまま、知らぬ顔だ。それでいいのか、人間として、大阪として、大阪人として?」

これは、のちに日本最高の文学賞(直木賞)にその名を残す大阪出身の作家、直木三十五が昭和7(1932)年に発表した『五代友厚』の冒頭の一文だそうです。MSN産経ニュース【次代への名言】経営者列伝編(12)(2009.12.26)に載っていました。
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先日、この『五代友厚』を含む直木三十五全集 第六巻が北海道札幌の古書店から届きました!
昭和9年7月発行なので、古書として趣があります。
矢野橋村(画家、大正13年私立大阪美術学校を創立)の装幀です。


次の2編が収録されています。
■ 大阪物語 -浪花から大阪へ-, 夕刊大阪 1931年(昭和6年)不詳
■ 五代友厚 -大阪物語続編-,  夕刊大阪 1932年(昭和7年)01月-05月

図書館ではこの本は館内閲覧のみになっているのです。
じっくり読むには、古書を買うしかないのかな?


ところで、まず、産経ニュースで冒頭の一文として引用されていた原文を探してみました。
 (序の五の部分)
 大阪には、大浦兼武の兼武会、藤田伝三郎の会、松本重太郎の会があった筈だ。彼等は、君らに直接の利益を与えるか或いは今でも金があるから、君らは、そういう会にだけは、努力しているのだろう。そして、五代は、大阪の為に尽して、借金意がの何一つ残らなくなって、その孫の行方さへ判らない位になっているから、鼻汁も、ひっかけないのだろう。
 軽蔑し、唾棄すべき、大阪の実業家なる代物よ。しかし、侍従武官より叱られても、未だ伝記さへ、完成できない大阪市よ、大阪府よ、お前ら、一体、それでも、人間か ――― 新年早々、俺は少うし、御機嫌が悪いのだぞ。


 (序の六の部分)
 よく、考えてみるがいい。五代が、それだけ、努力しながら、藤田伝三郎の如く、富を残さなかったという事を ―――。それは、己の富を作るよりも、大阪人の為に、大阪の為に、努力した方が多かったからだ。その努力に対して、君等は、一個の銅像を建てたまま、知らぬ顔だ。それでもいいのか、人間として、大阪として、大阪人として?



私は、直木賞受賞作家の作品は読んだことがあっても、直木三十五、この方の小説は一編も読んだことがありません。大阪出身ということも知りませんでした(;^_^A
これは、新聞連載で、普通の小説とは違うのかもしれませんが、序文だけを読んでも痛快!というか実に面白いです。

価値観というか、大切にしたいことが一致して、「そうだ!そうだ~!」とわくわくしてきます。

「五代友厚」をざっと斜め読みして、気になる「大阪物語」に目を通してみました。
序文として、、、

 どうも、人間といふものは、自分の愛人の事を知らうとする程、熱心に自分の市、町に就て、知らうとはしない。

 この物語によって、いくらかでも、自分の住んでいる町内、その近くの寺、神社、道側の石ころ、一本の柱にでも、親しみを感じて頂ければ、結構なのである。私の郷土の為に、私の為しうる最初の仕事として、これ位から始めるのは、いい事だと信じている。



こういう書き出しで始まる大阪物語もおっもしろい!です。

羨ましいのは、戦前の四天王寺の眠り猫を見ていること。それと、もう一つ密かに調べている白鷹の蟇股(かえるまた)のことも書かれていましたо(ж>▽<)y ☆
でも、ほんのちょびっとだけ・・・ 
もうちょっと猫が右向きか、左向きか、牡丹に蝶も彫られていたかなどなど書いていて欲しかった(T_T)


子供の時の思い出話も含まれていてその場所を知っている者にとっては本当に面白いです。
新清水の瀧を見に行った時も、床の間の掛物で見るような素晴らしい瀧を想像して行ったら、「僕の小便と、大してちがいはなかったので、とうとうふくれてしまった事を覚えている。」など。そう思ってもなかなか書けない(笑)

大阪を誉めてんのか、けなしてるんか、どっちやねん!と突っ込みたくなるところが満載で、引き込まれます。

面白いだけでなく、今の大阪案内の書物や、ネットの中にはないこともたくさん書かれていて重要な資料だと思います。

生家は中央区安堂寺町で、あまり馴染みのない土地なのですが、先日書いた記事のうだつを探してうろうろした場所だったので驚きでした。

このように、おもいっきりはまってしまったので、Googleマップに印をつけながら現在の状態をネットで探して比較しながら楽しんでいます♪


より大きな地図で 直木三十五 大阪物語 を表示

腰を痛めて、自転車で出かけることはできませんが、地図上をうろうろするだけでも十分楽しいです。

司馬遼太郎の「大阪の原形」2の記事は、またまた後回しになってしまいますが・・・
このGoogleマップの印付け作業を済ませたいと思いますp(^-^)q

2010/01/22

遅ればせながら

「大阪活力グランプリ2009」
我が家でも授賞式!
アヒルちゃん、カーネルさん、おめでとうございます(*^^)//。・:*:・°'★,。・:*:♪・°'☆
大阪と我が家とブログに活力を与えてくれてありがとう!


「大阪活力グランプリ2009」の正式な授賞式は、昨年12月17日でした。
asahi.com(朝日新聞社)大阪活力グランプリに阪神電鉄 カーネル人形には特別賞
大商ニュースによると受賞はこのようになっていました。
グランプリ
阪神なんば線を開業した「阪神電気鉄道株式会社」
特別賞
「水都大阪2009と水辺の活性化事業」として、水都大阪2009プロデューサー
「北浜テラス」を運営した北浜水辺協議会
巨大アヒルの展示などを実施した千島土地株式会社
大川で光のイベントを開催した平成OSAKA天の川伝説実行委員会
道頓堀川で24年ぶりに発見された「おかえり!カーネル」
囲碁の「井山裕太名人」

2010/01/21

船場に残るうだつ

2009/12/11の記事「うだつ、梲、卯建、宇立」のつづきです。
(写真は昨年末に撮ったものです。)

「大阪うだつ」の特徴を調べたかったのですが、「袖うだつ」のことを言うのか、あまりはっきりしたことがわかりませんでした。建築雑誌の特集などにあるのかもしれないですが、見つからなくて。。。 分類もいろいろあって、うだつなのか、防火壁なのか・・・と疑問が残っています(-"-;A
「大阪うだつ」はあまり専門的に調べられることなく、新しいビルに建て替えられた気がします。本に載ってあった中央区安堂寺橋のうだつも見つかりませんでした。

今回私が撮った建物は、明治から昭和初期に建てられたと思われますが、ビルの間に残り、いつ建て替えられてもしかたない・・・という存在だと思います。確実に残るのは、重要文化財になっている旧小西家住宅(道修町)だけかもしれません。。。
※国立国会図書館所蔵写真帳の大正3年道修町の「薬種問屋の荷造 」の写真には、本うだつが写っていて貴重な一枚だと思います。

最後に載せた酒屋さんでは、大奥様にお話を伺えて、昭和初期の建物だと教えて頂きました。屋根の上に飛び出た部分だけでなく、隣との境の壁全部が「うだつ」で、これがあったから戦火から逃れられたと話されていました。「若いのに(全然若くないですが・・・)うだつなんて、よう知ってはった。」とえらく褒めて頂きました(*゚ー゚)ゞ

頭の片隅に残しながら、今後も調べてみようと思います。今福の方にも残っているようですし。今年の課題です。

■袖うだつ
旧小西家住宅。コニシ株式会社の旧社屋(旧小西儀助商店)。
大阪市中央区道修町1-6-10





三栄源エフ・エフ・アイ株式会社
大阪市中央区平野町1丁目4番9号





ビフテキのスエヒロ(平野町)
大阪市中央区平野町3-2-5





■本うだつ
本吉兆(高麗橋本店)
大阪市中央区高麗橋2-6-7







喜久屋本店
大阪市中央区平野町1丁目4-7





「うだつ その発生と終焉」中西徹 著
京都大学文学部哲学科美学・美術史専攻卒。
京阪百貨店の初代社長であった中西徹氏が、気軽なスケッチ旅行の中でふと出遭ったウダツ。
ウダツの分布を緯糸に、ウダツの歴史を経糸に、「うだつ学」を編まれた本です。
本の中の昔の家屋のスケッチは、写真以上に素晴らしいと思います。


図解江戸の暮らし事典 決定版―江戸時代の生活をイラストで解説 (歴史群像シリーズ)
「商家と町屋のうだつ」「うだつの目的と役割」という項目で2ページほどの解説が載っていました。



【余談】
牧村史陽の「大阪ことば事典」にはこのように書かれてありました。

 ウダツガアガラヌ
相当努力しているにもかかわらず、容易に成功しないような場合にいう。
『大言海』には、「うだちがあがらぬとは、圧しつけられて頭が上らぬ事に云ふ」と説明している。一般に「あがらぬ」と否定の場合に限り、「うだつがあがる」「うだつをあげる」などとはいわないようである。
  (中略)
現在、京阪地方でうだちというのは、隣家との境をなす屋根の切妻部において土塀のように突出する両流れの防火壁のようなものを指しているが、さらにそれから転じて表通りに面した大屋根の下の両端、小屋根との間に、脇障子のような形で直角に突出した小壁のことまでうだちと称するようになったらしい。この小壁は、戦時中、一時、防火のためにこれの復活付設が奨励されたことがあったが、現在、大阪にその遺構は全くなく、京都西陣付近や奈良辺にわずかに残っているのを見るだけである。
とにかく、こうしたうだちのあるほどの家は相当の建物であって、せめて一代のうちにこのうだちを上げた家を新築したいというのが、誰しもの念願であった。ところが、商売はなかなか思うようには行かず、容易にこのうだちを上げることもできない。そこで一生うだちが上らずじまいというようなことになってしまうのである。


否定でしか使われない説明が面白いですね。大坂の大町人学者と呼ばれる牧村史陽さんならではの解説です。

また、「あんなうだつの上らん男には嫁にやれん!」というのは、はなっから嫁にやる気がない時につかうのでしょうね(笑)

2010/01/20

ミスター清水坂

昨日の記事に載せた清水坂(きよみずざか)。


↑この写真は昨年撮ったもので、その時の記事でこのようなことを書きました。
2009/03/26 天王寺楽所(てんのうじがくそ)を訪ねて・・・
「ここで、お笑いタレントかつ俳優のある方と出くわしましたヽ(*'0'*)ツ
大阪のおばちゃんである私は、本能的に話しかけてしまいました!にこやかに返事をして下さった笑顔はとても優しくて「ええ人やわぁ~」を直感しました。」

実は、今年の元旦の初詣でも、同じ芸人さんと清水坂で出くわしたのですヽ(*'0'*)ツ
その方は・・・

「おっ、おっ、おっ、、、おさむちゃんデ~~~ス!」

の、ぼんちおさむ師匠 です(・∀・)
勝手に『ミスター清水坂』と名付けさせて頂きましたm(_ _ )m

漫才でもたくさんの笑いを頂きましたが、TVの『はぐれ刑事純情派』の里見刑事役もとても好きだったのでもう嬉しくって(*^▽^*)

さすがに今回は声をかけるのをためらってしまいましたが、本当は言いたかった・・・
「今年は、おさむ師匠のジャズをぜひ!ぜひ!聴きに行きたいと思っています♪」

昨年、お会いした時に調べてみると、大阪の老舗のJAZZライブハウス "ニューサントリー5"で毎月第3火曜日にジャズ&トークライブをされているのです。
昨夜、19日もライブの日でした。
他にも、ライブをされているようなので、いつか絶対に生で聴いてみたいです♪

16日から封切りの映画「板尾創路の脱獄王」にも出演されているので、来年くらいのDVDレンタル開始を楽しみにしています。(映画館へ行くのはまだ無理なので・・・)


ところでテレビでは、『大阪のおばちゃんは芸能人を見つけると、馴れ馴れしく「あんた知ってるでぇ~」とか言って叩いてくる』とよく放送していますが・・・

私は、そんなことはしませんヾ(。`Д´。)ノ しませんでしたヾ(。`Д´。)ノ

でも、ご本人相手にギャグを真似てしまいました(〃∇〃)

「あの・・・ おさむちゃんデ~~~ス!のおさむさんですか?」


まさかこんなことを言うおばちゃんだったとは・・・(;´▽`A``

そんなおばちゃん相手ににこやかに「はい(^-^)」と言って下さったおさむ師匠はええ人やと思います。
そんでもって、生おさむ師匠は、テレビで観るより男前でした(*゚ー゚*)

応援してます!

ミスター清水坂の後ろ姿(昨年の写真)

2010/01/19

うまいもんと大坂画壇 6

もう終わったかと思えた「うまいもんと大坂画檀」シリーズ、今回が最終回です。
年をまたいで、6回までひっぱりました(^_^)v

天保11年(1840)の料理屋の番付表「浪花料理屋家号附録」によると、東の大関は「浮瀬(うかむせ)」、西の大関は「西照庵」となっていて、他には「福屋」という料理屋も有名だったようです。

これらの料理屋は現存しませんが、いずれも四天王寺の近くにありました。多少ずれているかもしれませんが、この辺りです。

この料理屋のあったところは、高台(上町台地)になっていて、すぐ西側は崖になっていました。
そして台地から西方を望むと、見渡す限りの田園の彼方に茅渟(ちぬ)の海(現在の大阪湾)が広がっていました。

以前、司馬遼太郎の本を読んで記事にした「大阪の原形 1」でも書きましたが、四天王寺西門は日想観で有名で、周辺は夕陽を眺める名所として名高く、「夕陽が丘」と称されました。

四天王寺、その近くの寺や神社へ参詣し、美しい景観を楽しみつつ、高台の料理屋で酒食を楽しんで帰るというのは、当時の浪花の人々の遊山行楽の最たるものであったようです。

この展覧会(うまいもんと大坂画壇)では、「浮瀬」は、『奇杯品目録』と『花の下影』が、「西照庵」は、菅其翠の『浪華生玉西照庵遠望図』が紹介されていました。「西照庵」の絵は綺麗でしたよ。こういうののポストカードがホント欲しいです。

興味を持ったので、他の本や、現在の写真などを交えて紹介することにします。

寛政年間(1789-1801)に著された『摂津名所図会』でも、寺、神社と料亭が対で描かれています。「浮瀬」などの料亭は、そもそも「門前の茶店」として誕生したようです。
■西照庵と、月江(げっこう)寺


■浮瀬(うかむせ)と清水寺


■福屋と安居(安井)神社



安政元年(1854)以降元治元年(1864)の間に描かれた『花の下影』より。
■西照庵

 天保11年(1840)の浪花料理屋番付では、東の浮瀬に並んで西の大関。『守貞漫稿』でも名ある料理屋として浮瀬のつぎに名をつらねている。浪花では最高級の料理屋として名が通っていた。
 生玉月江寺の裏門の西にあって、座敷からは大坂の町々はもとより、西の海まで一望のもとに見渡せた。ことに夕陽が西に沈むころの景色は格別で、そのため西照庵の名がつけられたという。
 座敷の普請から庭の手入れ、なにからなにまで風流をきわめた。
※守貞謾稿(もりさだまんこう、守貞漫稿とも)は、江戸時代の風俗、事物を説明した一種の類書(百科事典)。著者は喜田川守貞。起稿は1837年(天保8年)で、約30年間書き続けて全35巻をなした。1600点にも及ぶ付図と詳細な解説によって、近世風俗史の基本文献とされる。(Wikipediaより)


■浮瀬

 七合半も入る直径二尺余の大盃(たいはい)、アワビやサザエなど大小の貝殻を使った貝杯 ー 料亭「浮瀬」の名物であった。
 大盃を手に縁側でかしこまる男。座敷の置くで扇子片手にあぐらをかく大尽を前に、なみなみと注がれる酒を「イッキ、イッキ」にのんでみせます、というのであろうか。
 新清水清光院の石段下にあり、はるか西南に淡路島も見えたとか。最晩年の芭蕉がここに遊び「松風の軒をめぐりて秋くれぬ」の句を残した。
※七合半入るのは11の穴を塞いだアワビの貝杯(この奇杯の銘を「浮瀬」といい、料亭の名もこれからとって浮瀬という)で、朱塗りの大盃(「七人猩々」)には6升5合入ったそうです。



『摂津名所図会』に描かれている浮瀬。


ここでも、大盃を飲みほそうとしている絵が描かれています。


この大盃には、七人猩々(しょうじょう)の蒔絵が描かれています。
猩々は中国の想像上の動物で、身体は狗(いぬ)や猿の如く、顔は人に類し、人の言葉を解し、酒を好むという。
絵は『摂津名所図会』より。


猩々といえば・・・ そうです! 天神祭の御迎え人形の一つです。


いろいろ繋がってくると面白いです(^-^)
また、こういうことも書かれてありました。(「浮瀬―奇杯ものがたり」より)

 すばらしい眺望、そして奇杯「浮瀬」、大盃「七人猩々」、その他大小さまざまな名前がつけられた貝杯を所蔵する異色な料亭は、文人墨客をひきつけ、浮瀬の名をとどめた作品が残されました。俳人芭蕉、蕪村、浄瑠璃の近松門左衛門をはじめ、それは上方、江戸を問わず近世文学史上、著名な作家が数多く登場します。長崎・出島のオランダ商館の一行が江戸参府旅行の途中、浮瀬の客となり、歓を尽くすのを常としたのも興味深い史実であります。


ほかにも、こういう絵や写真がありました。

上方60号表表紙 浮瀬料亭雪の景 長谷川貞信(木版)


上方50号 口絵 明治初年撮影の大阪名所写真 清水寺北坂



こういうことを思い浮かべながら、清水坂を上ると感慨深いものがあります。右側が、清水寺。左側が浮瀬があったところ。


浮瀬は、1887年(明治20年)頃売りに出され個人の別荘となり、現在では大阪星光学園(←大阪でトップの私立男子校です)の構内の一部になっています。正門入り口にある「浮瀬」の石碑。


浮瀬の跡地は1983年(昭和58年)「浮瀬俳跡 蕉蕪園」として整備されていますが、入るには学園に予約をしなくてはいけません・・・ なので、清水寺から写真を撮りました。


「蕉蕪園」というのは、かって浮瀬に来訪して句を残した芭蕉と蕪村の号から一字ずつを取って命名されました。園内は、両俳人の句にゆかりの草木が植えられています。
西側道路から見上げて撮った写真。


これは、安居神社から撮った清水寺。鐘や、舞台があるのが分かりますか?


コンクリートですが、舞台なのです(^_^;) 見えるのは、ビル、ビル、ビル、、、通天閣!


再び載せます『摂津名所図会』。この当時のまま清水寺や浮瀬が残っていたらよかったのになぁ・・・


想像力を高めて、散策すると楽しいです(o^-')b

浮瀬は、この本が詳しいです。
浮瀬(うむかせ)―奇杯ものがたり 坂田 昭二 (著)


この本にも6ページ載っています。
大阪名所むかし案内―絵とき「摂津名所図会」 本渡章著
「浪花の名物料亭が京、江戸にもあった」音羽、浅草にも広まった奇杯遊び



これで、「うまいもんと大坂画壇」は終わりです。

※初詣と、えべっさんの帰り、この辺りをうろうろしていたのはこの記事を書くためでもあったのです^^


【追記】昨年のTVドラマ「JIN-仁ー」とちょっと関連。
番組HPに、「お江戸マメ知識」というコーナーがあり、第7回でこのような質問がありました。
「第6話で、刺客から追われた仁先生と咲さんが神社に逃げ込んだところ、たくさんカップルがいましたよね。江戸時代は神社でデートするのが主流だったのでしょうか?」
この解説は、なるほど~(笑)でした。大阪でも確かにそう!
解説はこちらです。