2016/12/06

涅槃図

昨日見た大阪市立美術館「壺中之展」

絹本著色涅槃図(けんぽんちゃくしょくねはんず)

重要文化財
建武2年(1335年)に坂上利増が寄進
平野区の長寶寺の寺宝

猫はいなかった。
猫がいる涅槃図はやはり数少ないのかな。
http://yurari-yurayura.blogspot.jp/2010/03/nekojizou.html


涅槃図になぜ猫いない?京都新聞
 http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160310000022 
涅槃図になぜ猫いない?印刷用画面を開く
西寿寺に伝わる涅槃図。今年も17~23日に本堂に掛ける(京都市右京区)
西寿寺に伝わる涅槃図。今年も17~23日に本堂に掛ける(京都市右京区)
 新暦で釈迦(しゃか)が亡くなった日に当たるのが3月15日ごろ。京都市内では、威徳をしのぶ涅槃会(ねはんえ)を営み、釈迦の入滅の様子を描いた涅槃図(ねはんず)を公開する寺院も多い。あらゆる生きものが嘆き悲しむ場面で、描かれなかった動物が「猫」。この謎をひもときながら、仏教絵画が専門で京都国立博物館保存修理指導室長の大原嘉豊さんに、涅槃図の楽しみ方を聞いた。

 通常、画面に存在しない猫。だが、京都市内の寺院には、猫が描かれた涅槃図がいくつかある。

 右京区の西寿寺の涅槃図は縦約5メートル、横約3メートル。裏書きから、江戸初期の奉納とみられる。毎年3月の彼岸に本堂に掛けるが、今年2月、村井定心住職(59)が、初めて猫がいることに気付いたという。

 なぜ猫が珍しいのだろう。「釈迦の使いだったネズミの天敵だから」「身繕いにかまけて入滅に間に合わなかった」など描かれなかった理由は諸説ある。だが、大原さんは、「猫のルーツは中東とされ、お釈迦さまの時代にインドにいなかったから」と説明する。

 国内の文献で猫が確認されるのが平安時代の初期で、鎌倉時代になると猫のいる涅槃図が出てくるという。「街中に猫が増えてきて、『涅槃図にいないのはかわいそう』となったのではないか。後でもっともらしい伝説が付け加えられたのでしょう」と推察する。

 涅槃図には、ぶら下がった赤い袋もある。猫が描かれなかった理由の一つに、「木に掛かった薬袋をネズミが取りに行ったが、猫に邪魔されたために、釈迦は薬を飲めずに亡くなった」という説もある。だが、大原さんは、「涅槃図に見られる袋が薬袋というのは間違い。これは、托鉢に使う鉢を包んだもの。『衣鉢を継ぐ』の言葉があるように、悟りを開く人のために残したのです」と教えてくれた。

 大原さんは「動物を見れば絵師の腕が分かる」とも話した。インドや中国を経て日本に入ってきた涅槃図。昔の絵師は、先人の作を模写して絵のパターンを手中に収めたという。こうした事情や、仏画としての約束事もあり、涅槃図は全体として大きな違いが表れにくかったようだ。

 ただ、「絵の脇役ともいえる動物は、絵師のオリジナリティーが出せる。腕の立つ絵師は、ひと味違った動物を描こうとしている」と語る。西寿寺の涅槃図には、猫のほか、スズメのようにインドにはいなかった動物も描かれている。「優れた絵師が手がけた証拠。絵師も腕が鳴ったのでしょう」と分析した。

 他の寺院には、釈迦は内陸部で亡くなったにもかかわらず、海の魚が描かれた涅槃図もあるという。江戸時代に海外から博物学の知識が伝わると、当時の国内では見られなかった動物がリアルに描写されるなど、時代背景も反映されている。


 涅槃図はその大きさでも知られるが、動物は主に下側に描かれている。大原さんは「上ばかり見ていると首が疲れる。下の動物を眺めてみると、楽しいですよ」。
(以上引用)---------------------------



海の魚が描かれた涅槃図探しは、またいずれ。



◆猫が描かれている涅槃図
・京都 東福寺
・京都 西寿寺 3月17~23日なら見れる?
・千葉 天寧寺



2016/12/04

雨の天王寺

◆大阪市立美術館
壺中之展(こちゅうのてん) -美術館的小宇宙
http://www.osaka-art-museum.jp/sp_evt/kochunoten/

猫図(ねこず)
原在正(はらざいしょう)
江戸・18-19世紀初 本館蔵(田万コレクション)

◆散歩なう 受け渡し

◆高島屋 B1催事 やまつ辻田 柚子七味

「後期難波宮 朝堂院西方地区の調査」現地説明会

今日、行われた現地説明会について思ったこと。

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発掘調査の成果を広く市民に公開するためにとられた時間は、土曜日のたった2時間。
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たくさん写真も撮ったけど、あえてここに載せるのは、その時に配られたパンフレット



カラーの立派なパンフレットは、この2時間のため、というより特別関係者に配るためのものだろう。
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こういう重要なものが、大阪城のたくさん人が集まるところの近くで発掘されても、ほんの数日前に説明会が告知され、こそっと行われ終了する。開始時間の13時には行列が出来るほど人が押し寄せたとは到底思えない。私が行った終わりの30分にしてみても、たいした人数じゃない。
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広く市民、といっても知らないのだ。
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市民が知らなくても、「いや、広く市民に知って頂くため現地説明会を行いました。」ということだけが必要なんだろうと思う。私にはそう思えた。
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学識関係者、その他関連の人達は、別の時間の見学会があり、まぁ、いわば、そういう人達の要求が満たされれば、ここは、今ある病院を増築するための更地に戻されるのだ。
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一般の市民がたくさん来れば、どうしてこういうものを残さないか、私のように言うウルサイやつが出てきて困るのだろう。
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誰が市長になるかどうか、そういうことじゃない。
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大阪は、腐ってるね。
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また埋め直して、病院でも、なんでも建てろよ。ば~か!
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一応、説明会の方にはお礼を言ったけど、心の中で思っていたのはこういうこと。
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帰り通った大阪城公園にいた親子にも見せてあげたかった。
大阪、この地はこういう古い歴史のあるところなんだよって。
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関係者(大阪市?大阪文化財研究所?)の人達って、そういうことは思わないんだろうな。
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「いや、思ってますよ~。だから広く市民にむけて見学会を行いました!」
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はいはい、そうですね(怒)
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【かいわいの現説】後期難波宮の朝堂院西方で初めて役所の建物群が見つかりました ~現地説明会を12月3日(土曜日)に行います~(大阪市報道発表資料)
大阪市教育委員会と公益財団法人大阪市博物館協会大阪文化財研究所は、平成28年3月末から実施してきた中央区法円坂の難波宮跡における発掘調査の成果を広く市民に公開するために、平成28年12月3日(土曜日)13時より、発掘現場の現地説明会を開催します。今回の発掘調査では、後期難波宮の朝堂院西方で、官衙(かんが)(役所)とみられる建物群と重要な施設を囲む区画施設の一部が見つかりました。後期難波宮の実務的な官衙(役所)は確実な発見例がなく、初めての発見です。区画施設は「五間門(ごけんもん)区画」と呼ばれている一画の南面の塀で、平安宮の豊楽院に当る位置にあり、重要な政務や儀式の場であったと考えられます。こうした発見によって後期難波宮の宮殿の構造の一端が明らかになりました。
現地説明会のご案内
1.日時:平成28年12月3日(土曜日)13時~15時

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2016/11/28

メモ

・背伸び拭きで、足の甲が痛む。もうがたがた。今週末まで大掃除は続く。長い。。。

・湊駅の本屋さんまで行きたかったのだけど、歩くだけで痛むのでやめにする。

・トヨクニコーヒーさんへ散歩なうを持って行く。のんびりしたいところだけど、畳の部屋で、ちょっとつらい。 畳だと膝も、腰も痛い。なんぎなこっちゃ

PepeShimadaさんの絵画展ポストカード

・大阪、東京、どっちが「世界でも類をみない」級なのか調べたいのだけど、

疲れて、ネムイ ネムイ まだ月曜なのにダウン

2016/11/27

メモ

雨の一日

◆黒猫ショルダーバッグでお出かけ~♪

◆散歩なう 受け取り

◆阪神百貨店建て替え工事 観察

◆阪急百貨店 光のヒンメリ 『H ZETTRIO(エイチゼットリオ)』


つゆちゃん、かわいい

2016/11/26

地名の本

◆中之島図書館と、大阪歴史博物館へ。
鯨谷の地名自体の資料は、ないけど、
鯨について、いろいろ今まで知らなかったことが分かって面白い♪

◆地名を調べる本について、

中之島図書館HPより 「大阪の地名を調べるには
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 『角川日本地名大辞典27大阪府 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編集 角川書店 1983年   中・央 374-135# / 291-81 / 291.03-2N
日本全国の地名辞典で、第27巻が大阪府にあたっています。4部構成で、「総説」には大阪府内の風土や歴史の概要が記され、「地名編」は歴史的行政地名(国・郡・藩・府など)、自然地名(山・川・峠など)、人文地名(街道・鉄道・橋など)が50音順に並べられています。「地誌編」は府内の市区町村の編纂当時の状況と行政地名に関する記述があり、「資料編」は「国郡沿革表」「藩府県沿革表」「市町村沿革表」等を含んでいます。
■ 日本歴史地名大系28 大阪府の地名I・II 平凡社地方資料センター編集 平凡社 1986年   中・央 374-147# / 291-95 / 291.03-1N
日本歴史地名大系全50巻のうち、第28巻の2冊が大阪府にあたっています。歴史的行政地名、自然地名、人文地名が地域ごとに配列されています。Iは摂津国、II河内国・和泉国で、大見出し項目は「現在の郡・市・区名」、中見出し項目は「現在の町・村名、大・中都市の地域区分名、中世・近世の都市名」とし、それぞれの見出しの中に多くの地名を収めています。巻末には地誌の「文献解題」等がつけられていて、大阪の地誌を調査する時の参考になります。
 
使い分けのヒント 上記掲載の『角川日本地名大辞典』は中世から現代までの記述であり、『日本歴史地名大系』は基本的に近世(江戸時代)までの記述に詳しい。よって、近代・現代の変遷等を調査するには『角川日本地名大辞典』を、近世までについて調査する場合は、『日本歴史地名大系』を使う方が便利。
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どっちも欲しいところだけど、近世までの『日本歴史地名大系』平凡社 を購入!
龍造寺町を調べるには、こっちの方がよかったから。

まだ他にも欲しい地名の本があるのだけど、、、


2016/11/24

鯨谷について

Google booksで検索!

上方に載ってる!(やはり索引データベースが必要・・・)
あとの資料を探しに、中之島図書館へ。



疲れてネムイので寝ます。
11月の大掃除月間は、走るのは、無理。
12月の大会は来年からは申し込まないようにしよう。

歩けるけど、走れない。
どうしよ。



2016/11/23

阿倍野お散歩

先日、中之島図書館で、各区史をぺらぺらめくって写真を見ていた時、
鯨池の写真と「鯨」の文字に目がとまる。
家に帰って検索。
阿倍野区HP 「阿倍野の歴史・沿革
明治の初めごろ、阿倍野は米・麦をはじめカブラ・ダイコン・カボチャ・ナタネなど時には綿も栽培する農村でした。主に、街道沿いの阿倍野村に約63戸、猿山新田に約28戸の農家があるだけで、見渡す限り田畑や原野が広がり、狐狸なども棲むさびしい場所だったといわれています。しかし、もともと高台で風景に優れていたことから、明治25~26年頃、当時の天王寺警察署長の発案によって、天下茶屋の鯨池を中心に天下茶屋、聖天山、阿倍野神社一帯に遊園地の建設計画が進められたことにより、良好な住宅地として注目されるようになりました。」

地図を見ると鯨谷の文字を発見

鯨谷も、鯨池もネットに情報ほとんどなし。

場所的に、阿倍野七坂の辺りなので、行ってみることに。

大阪「高低差」地形散歩の本を見ると、鯨池の記述発見!
新之介さん、さすが!


で行ってみた♪



ネットで見れる大阪の地図

◆難波往古図


大坂之圖 明暦3(1657年)
    リウサウシ丁

大阪町中並村々絵図 寛文3年(1663)8月15日から延宝元年(1673)6月10日。

◆辰歳増補大坂図 (1688年)

大坂大繪圖 : 新撰増補 元禄4(1691)

大坂大繪圖 元禄9 (1696)

攝津大坂圖鑑綱目大成 正徳5(1715)

◆新撰増補大坂大絵図 (1758年)

「摂津大坂図鑑綱目大成(1730年頃)」
「摂州大坂画図(1749年頃)」
     竜蔵寺丁
「改正懐宝大阪図(1752年後)」

大阪絵図 寛政1(1789)

「増修大坂指掌図(表面)(1797年)」
「増修大坂指掌図(裏面)(1797年)」

増脩改正摂州大阪地図全 文化3(1806年)
     龍蔵寺町

「文政新改摂州大阪全図(1825年)」
     竜蔵寺丁 銅座御役処

「改正摂州大坂之図(1836年)」

攝州大阪全圖 天保8(1837)
  竜蔵寺丁 銅座御役処

「弘化改正大坂細見図(1845年)」

大阪絵図 弘化4(1847)

大坂之図 弘化4(1847)


「改正増補国宝大阪全図(1863年)」

大阪市中地區甼名改正繪 明治5(1872年)

大阪圖  明治五年(1872年)

「大阪市中地区町名改正絵図(1875年)」
「新撰大阪府管内区別図(1875年)」
「大阪府管轄市街区分細見縮図(1877年)」

大阪之圖 明治12(1879)

「摂津国大阪府区分新細図(1879年)」
「新選大阪市中細見全図(1881年)」

大坂明細全図 明治15(1882年) 

「実測大阪市街全図(1885年)」
「陸地測量部大阪地図(1886年)」
23「内務省大阪実測図(その1)東半(1888年)」
     龍造寺町
「内務省大阪実測図(その2)西半(1888年)」
「改正新版大阪明細全図(1890年)」
     
大阪市明良新地圖 明治33(1900年)

大阪市新地圖 明治33(1900年)

大阪市全地圖 明治35(1902年)


大阪市街圖附人力車賃金表 明治36(1903年)

大阪市街全圖 明治39(1906年)

大阪市街全圖 : 實地踏測 明治44(1911年)

大阪市街全圖 : 實地踏測 大正元(1912年)

大阪市内詳細図 大正3(1914年)

大阪市街全圖 : 實地踏測 大正5(1916年)

大阪市街全圖 : 實地踏測 大正7(1918年)

大阪市パノラマ地図 大正12(1923年)

大阪市大地圖 大正14(1925年)

大阪市街図 : 實地踏測 大正14(1925年)

大阪市街全圖 : 最新 : 大 昭和3(1928年)

大阪市街新地圖 : イロハ引早わかり : 大 昭和8(1933年)

大阪市街圖 : 最新 昭和16(1941年)

大阪市街地圖 : 最新 : 大 昭和16(1941年)

大阪市街全圖 : 最新調査 : 大 昭和17(1942年)

大阪全圖 : 最新 : 大 昭和18(1943年)


大阪市街地図 : 最新 昭和29年(1954年)

大阪市街地図 : 最新 昭和30(1955年)




 

2016/11/22

龍造寺町について

昨日、今日、龍造寺町について、追加でいろいろ調べてみる。
「立蔵寺町」なんていうのも出てきてびっくりする。

いろいろ読んでいると他のことにも目が行って脱線ばかり。
(天下茶屋の鯨池の写真など)

大阪歴史博物館でコピーした地図を含め、スキャンしてパソコンで見れるようにしておこう。


◆日本歴史地名大系第28巻 大阪府の地名  Ⅰ、Ⅱ  平凡社  (大阪市は l)
 ・大坂三郷 P370
  「竜蔵寺町に龍造寺・・・の各屋敷があった。」
 ・東区  P426 竜蔵寺町


◆フランシスコ・パシオ報告書 1598年
中央公論社版フロイス日本史2の巻末付録

◆大阪市史第五 明治44-大正4
『初発言上候帳面写』宝暦三年(1753) 立蔵寺町 ???P66

 関連→大阪歴史博物館 研究紀要 第12号83‐92 2014/2 
 「伏見組町名を載せる近世大坂絵図」

◆大阪府全志2 大正11年
 P276 「もと伏見より移り来りたる龍造寺町」
  P277 「龍造寺町の名は、豊臣氏時代に龍造寺氏の邸ありしより起こり、」
◆『大阪古地図集成(大阪建設史夜話 附図)』(大阪都市協会、1980年)
『大阪建設史夜話』(玉置 豊次郎/著 大阪都市協会,1980)地図の解説

1「難波往古図」
2「新板大坂之図(1657年)」
    リウサウシ丁
3「辰歳増補大坂図(1688年)」
4「新撰増補大坂大絵図(1691年)」
5「新撰増補大坂大絵図(1758年)」
6「摂津大坂図鑑綱目大成(1730年頃)」7「摂州大坂画図(1749年頃)」
     竜蔵寺丁
8「改正懐宝大阪図(1752年後)」
9「増修大坂指掌図(表面)(1797年)」
10「増修大坂指掌図(裏面)(1797年)」
11「増脩改正摂州大阪地図全(その1)東半(1806年)」
     龍蔵寺町
「増脩改正摂州大阪地図全(その2)西半(1806年)」
12「文政新改摂州大阪全図(1825年)」
     竜蔵寺丁 銅座御役処
13「改正摂州大坂之図(1836年)」
14「弘化改正大坂細見図(1845年)」
15「改正増補国宝大阪全図(1863年)」
16「大阪市中地区町名改正絵図(1875年)」
17「新撰大阪府管内区別図(1875年)」
18「大阪府管轄市街区分細見縮図(1877年)」
19「摂津国大阪府区分新細図(1879年)」
20「新選大阪市中細見全図(1881年)」
21「実測大阪市街全図(1885年)」
22「陸地測量部大阪地図(1886年)」
23「内務省大阪実測図(その1)東半(1888年)」
     龍造寺町
「内務省大阪実測図(その2)西半(1888年)」
24「改正新版大阪明細全図(1890年)」
     龍造
25「新町名入大阪市街全図(1900年)」
      府立図書館には無し