2009/09/08

巨大アヒルちゃんがいる場所2 難波津(なにわつ)

Rubber Duck Project 2009」として、「八軒家浜」船着場の横でぷかぷか浮かんでいる巨大アヒルちゃん。



前回の記事(こちらです)では、江戸時代以降のことを書いたのですが、今回は縄文時代までさかのぼります!
そこまでさかのぼっても、巨大アヒルちゃんがいる場所は、歴史ある重要な場所なのです。


縄文時代は、今の大阪とは地形が随分と異なり、今でいう上町台地より東側は「河内潟」と呼ばれる内海で、西側の「チヌの海」と呼ばれた大阪湾とは、巨大アヒルちゃんがいる上町台地の先端でつながっていました。

潮の流れが速く、ここから「浪速」(なにわ)の呼び名が生まれたそうです。

もし、この時代に巨大アヒルちゃんがいたら、早い潮の流れにのまれて、のんびり浮かんでいることはできないですね。今でよかった(笑)


JR大阪の場所も、大昔は大阪湾の海底でした。


弥生時代には、海退と淀川と大和川の堆積で「河内潟」は「河内平野」になりました。
仁徳天皇が淀川と大和川の合流地を改修し、巨大アヒルちゃんがいるあたりは「難波の堀江(なにわのほりえ)」と呼ばれました。
この付近は、古代の国際交流の港「難波津」の発祥の地でもありるそうです。


飛鳥、奈良時代には国際交易も盛んで、「難波堀江」の両岸には寺や貴族の荘が集まりました。


【古事記】
「又堀難波之堀江而通海」
【日本書紀】
「掘宮北之郊原 引南水以入西海 因以號其水曰堀江
※仁徳紀11年の記事に、「天皇は、洪水や高潮を防ぐため、難波宮の北に水路を掘削させ、河内平野の水を難波の海へ排水できるようにし、堀江と名付けた。」という内容の記述があり、堀江の成立を物語るものとされている。
【万葉集】
葦刈りに堀江漕ぐなる楫の音は大宮人の皆聞くまでに
【古今和歌集】
難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花(王仁)
【百人一首】
難波潟みじかき葦の節の間も会はでこの世をすごしてよとや(伊勢)
侘びぬれば今はたおなじ難波なるみをつくしてあわむとぞ思ふ(元良親王)
難波江の葦のかりねの一夜ゆゑ身を尽くしてや恋渡るべき(皇嘉門院別当)



現在でも、巨大アヒルちゃんがある場所から、南北に通る筋は坂道で、上町台地の先端であることがよくわかります。
太古に想いをはせながら、坂の上の上町台地から巨大アヒルちゃんを見ると・・・いい感じで見えます^^


このような場所もあり、台地の先端であることがよくわかります。
「永田屋昆布本店」の西側の筋です。


四天王寺西側の、「天王寺七坂」の雰囲気と似ていますが、四天王寺がある場所の方が標高が高いので坂も長いです。


こういう風に見てみると、巨大アヒルちゃんがいる場所は、「なにわ」「おおさか」を語るにいかに重要な場所かがわかります。


興味を持って読んでくださる方もいると信じて、
つづく・・・


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