2009/09/29

巨大アヒルちゃんが見つめていたもの・・・

9月27日が八軒家浜での最後の日となり、姿を消した巨大アヒルちゃん。
さびしい・・・(´_`。)

その巨大アヒルちゃんの視線の先にあったものは何でしょう・・・


それは、将棊島粗朶水制跡(しょうぎじまそだすいせいあと)の碑。
(水色のフェンスの先には、アヒルちゃんが写っています。)


巨大アヒルちゃんのかわいい正面顔を見たくて、対岸の川辺に行った人も多いはず。でも、この碑に気付かれましたか?


碑の説明板です。


そこに載っている、お髭のこの方。


この方こそが、巨大アヒルちゃんの説明のところにも載っていた方なのです!



【水都の基礎を作った技師もオランダ生まれなんです。】
J・デ・レーケ
Johannis de Rijke、1842年オランダ生まれ。
明治政府に技師として招かれ、1874年より、日本初の近代河川工事となる淀川の河川改修に着手、以降、大阪港開港や木曽川改修など、各地で偉大な功績を遺し、「砂防の父」として讃えられる。



ヨハニス・デ・レーケ(Johannis de Rijke、1842年12月5日 - 1913年1月20日)
Wikipedia 


ちょうど、図書館にも本があったので借りて読んでみました。

『流れを変えた男たち デ・レーケ物語 淀川改修と大阪港築港』
ふるさ都・夢づくり協議会 1999.11
『大阪とオランダ』
「オランダフェスティバル'89大阪」 実行委員会 1989.3


強く感じたことは・・・

大阪に、デ・レーケ像が建ってないのは、どういうことなんだ!
大阪府&大阪市なにやってんねん!ヾ(。`Д´。)ノ
それに、淀川改修100周年の今年、水都大阪2009のイベントに、デ・レーケの偉業を伝えようとするものが、巨大アヒルちゃん以外ないとはどういうことなんだ!

・・・ということです。はい。 ぜぇぜぇ・・・
※デ・レーケについては、以前のブログで、城北ワンドのことを書いた時に詳しく説明したのですが、今はその気力がなく、、、詳しい偉業については、本やインターネットで検索してみてください。


大阪の治水翁とよばれた大橋房太郎。Wikipedia
この方のことは、水都大阪2009のイベントとしてシンポジウムもあったようです。


愛知県は、木曽三川分流工事に功績があったヨハニス・デ・レーケ像を建てています。Wikipedia

淀川改修と大阪港築港に関して、デ・レーケの偉業なくして語れない。なのに、大阪にはその像すらない。

これは、Wikipediaによるとこう書かれています。
『建設事業の竣工時において、事業関係者は招待されたり記念碑に連名されるのが慣例とされているが、デ・レーケが関連した全土木工事において、一度も招待を受けたことがなく、また彼の名も記されていない。あくまで内務省にとって彼はお雇い外国人(=裏方)であり、彼の任務は調査と報告書提出のみであってそれを決定し遂行するのは日本側である、という事情が根本的な背景にあった。』

「デ・レーケ物語」によると、
『明治30年ともなると、日本人技師は外国人技師以上に技術を身につけていた。決定権はあくまでも日本側にあるという政府の意向からデ・レーケは報告書や計画案を提出しただけで、実際の築港事業には参加を断られていたのだ。』


当時の政府が、そうであったとしても、今の大阪は、その偉業をきちんと伝え残して欲しい。

日本とオランダ、大阪とオランダの友好関係においても。


2008年と2009年は、日本とオランダ両国の長きにわたる友好関係において歴史的な節目の年です。2008年は、二国間の外交関係が樹立してから150周年にあたり、2009年は、徳川家康がオランダに公式な通商許可を与えた1609年以来、両国の通商関係が400周年を迎えます。



巨大アヒルちゃんは、かわいかった~(*^▽^*)
だけで終わらせるのは、どうかな???と思ったので記事にしました。

次は、大阪とオランダについてです(^-^)/



【説明追記】


将棊島粗朶水制跡(しょうぎじまそだすいせいあと)
将棊島は、淀川の水が寝屋川・鯰江川(なまずえがわ)
に逆流して水害を引き起こすのを防ぐために、3つの河川の合流点の綱島から天満橋を越えて236間(約430m)余り下流まで築かれた隔流堤(かくりゅうてい)で、幅7間(約13m)あった。
淀川治水のため、明治6年(1873)に来日したオランダ人技術者デ・レーケ、エッシェル、ティッセンの3人は、その翌年、将棊島地先にオランダ式の粗朶沈床(そだちんしょう)による水制工を実施した。これは木の枝を束ね、組み合わせたものに石を詰め、河岸から河の中央に向かって設置された突起物で、水の勢いを弱め、護岸に効果があった。この工法はケレップ水制とも呼ばれ、現在でも城北公園(旭区)北側の淀川左岸のそのなごりを留める。デ・レーケは来日してから29年間、大阪に留まり、淀川の治水と大阪港の建設に尽力した。
大阪市教育委員会



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