2011/11/21

旧第四師団司令部庁舎2 外観1

大阪城天守閣復興80周年祭で、特別公開された旧第四師団司令部庁舎の記事の続きです。
特別公開された内部には、まだまだたどりつけません^^;

同じ80周年を迎えた大阪城復興天守閣と、旧第四師団司令部庁舎。


前記事にも書きましたが、80年という長い年月の間、
第四師団司令部庁舎として建てられた建物は様々な使い方をされました。

第四師団司令部庁舎(9年間)→中部軍管区司令部庁舎(5年間)→連合国軍による接収(3年間)→大阪市警察局(1年間)→大阪市警視庁(5年間)→大阪市警察本部(1年間)→大阪府警察本部(3年間)→大阪市の管理下(2年間)→大阪市立博物館(41年間)→未使用(10年間)

当初の第四師団司令部庁舎として建築された面影をさがして、
まず、外から眺めていこうと思います。

※建築当初の写真・説明は、「建築と社会」昭和7年7月号より引用
※現在の写真は、2011年11月16日、18日、20日のいずれかに撮影






【正面】
正面桁行95米 高さ扶欄上端迄15米60糎
腰廻り及びポーチは紫雲石瘤出し仕上げ、
上部は褐色茶色色斑なスクラッチタイル張、
パラペット錆石(軒廻)人造石洗出塗、
笠石はテラコッタ素焼
各隅々のタレット及びバトルメント、アーケード等何れも古城の様式を備え、
ポーチの大アーチはノルマン風な粗面彫刻で鈍重な感じを出して居る。
御紋章金鍍金直径1米5糎



【車寄】
腰石及床は花崗石(床は二度叩仕上)
壁及蛇腹共紫雲石、
内部腰羽目紫雲石張
出入口額縁テラコッタ
天井プラスター塗(漆喰塗)
陸屋根床はクリンカータイル敷


まず、金の御紋章がなくなり、丸い跡だけが残り、
最終的に使われた大阪市立博物館の文字がバルコニーの下にあります。
車寄せ両端についていた立派な門灯もなくなり、ステンレスプレートになっています。
当初は、車寄せの上(貴賓室前のバルコニー)に手すりの柵はなかったようです。




茶色なので煉瓦造りと間違えられるようですが、レンガではなくてタイルです。
スクラッチタイル


帝国ホテル(大正12年竣工)のスクラッチ煉瓦が引き金になって、その後官庁や大学、金融機関などに「スクラッチタイル」を張った建物が建造され、昭和3年から6年にかけてそのピークを迎えました。
スクラッチタイルは、原料に含まれる鉄分などによる赤褐色から淡黄色の素地色を生かした無釉のタイルで、スクラッチ加工をするために湿式成形されます。スクラッチタイルはその特徴であるささくれだった多数の溝が表面に刻まれており、ワラビと呼ばれる土のささくれの大小やワラビの押さ込みの有無等により表情が変わってきます。
INAXサイトより引用(こちら


現在では全く触れられていませんが、
当初の解説では、「紫雲石」が使われていることが頻繁に出てきます。
実際に、すごい数の「紫雲石」が内外共に使われていて、
『紫雲城』と名付けてもいいような気がします。

紫雲石に彫られた定礎板


車寄せアーチの装飾も紫雲石。
「ノルマン風な粗面彫刻で鈍重な感じ」となっています。


大阪府庁(1923年(大正15年)に竣工)の玄関装飾の部分も「紫雲石」(香川産)です。
雨が降ると紫色に発色すると説明がありました。司令部庁舎の紫雲石も発色?





「各隅々のタレット及びバトルメント、アーケード等何れも古城の様式を備え」
聞き慣れない名称なので私なんかは分かりません^^;


確かに古城のようです。2階の南東角部屋は師団長室。



車寄せ部分。




当時、和歌山城二の丸御殿の一部が移築された紀州御殿が見えたと思われます。
昭和22年に占領軍の失火により焼失したのですが・・・






【通用門】
門柱扉全部鉄製組立でオリーブ色に仕上げ公園の風致に調和が保たれてある。

戦時中の鉄供出で撤去されたのか、鉄製のものは前年ながら残っていません。


反対側の石垣に連なる壁に取り付け跡がありました。


ここ(黒矢印)も当初は鉄のパイプが通っていたようです。



長くなったので、次の記事に続けることにします。

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