2011/07/13

いくたま夏祭 本宮

11日のいくたま夏祭の宵山をちらっと見に行ったので、(記事はこちら
本宮も行ってみることにしました。

本宮 7月12日(火)
渡御(おわたり)  午後1時
元宮駐輦(大阪城内)午後2時
行宮祭(本町橋)  午後3時

いくたま夏祭は、宵宮、本宮ともに夜、境内で齋行される「おねり」が有名で盛り上がるようです。
昼間に行われる渡御(おわたり)のことをブログ記事に書いている人を探したのですが
見つかりませんでした。。。

どこで何が見れるか、全くわからない(´_`。)
それに、雨も降ってくるし(T▽T;)

まぁ、それでも、大阪城は大阪市民の庭みたいなもんですし(大きくでましたよ!)、
そこで何が行われるかは見ておこぉ~と、自転車で出かけました。


「お渡り」は、枕太鼓を先頭に、神官・役員・御羽車(おはぐるま)等が車で氏地を回り、
元宮(大阪城内)、行宮(本町橋)へ行き、氏子の疫病退散・厄除け開運を祈ります。

戦前は千数百人の行列の「お渡り」であったそうですが、
今では交通事情のため、自動車での「お渡り」になっています。


ちょうど、大阪府庁前に着くと、渡御のトラックに出会いました(*゜▽゜ノノ゛☆


続々と連なって、大阪城に入ってきます。







枕太鼓のトラックがすぐ前を通ります。願人(がんじ)かっこい~(≧▽≦)



到着したのは、大阪城公園大手前芝生公園にある生国魂(いくくにたま)神社お旅所跡




生国魂(いくくにたま)神社お旅所跡
 生国魂神社の歴史を文献資料でたどると、「日本書紀」孝徳天皇即位前紀(六四五)に「生国魂神社の樹を斮(き)りたまふ…」とあるのが初出であり、これは難波宮造営のためと考えられている。また「天文日記」(一四三六~五四)の記載からも、大坂(石山)本願寺に接して生国魂神社のあったことがわかる。難波宮や大坂本願寺はここ大阪城の近くにあったことが知られており、生国魂神社が古くよりこの辺りに祀られていたことがわかる。
 その後豊臣秀吉は、大坂城の築城に際して天王寺区生玉町の現在地に移築した。当時大坂城大手門は、生玉門と呼ばれていたという。この「お旅所」は昭和七年(一九三二)に新築されたもであり、夏祭の渡御祭に用いられた。
大阪市教育委員会


ここで、厳粛な神事が行われます。
(神様を古にあった元の地に連れて来られた、と理解したのですがいいのかな?)








最後に枕太鼓を叩きます。叩き手は願人(がんじ)と呼ばれます。

★「それっ それっ」は分かるのですが、最後は何って言っているのでしょう???
★この後、大阪締めが行われたのですが、他の地域とは違いました!!!
  「打~ちましょ」(パンパン)
  「もひとつせ」 (パンパン)
  「祝うて三度」 (パンパンパン)
  「めでたいな」 (パンパン)
  「本決まり!」 (パンパン)
 ※これについては、生国魂神社の氏子である山本龍造さんがブログ記事に書かれていましたので、リンクさせて頂きます。(こちらです)



次は、大阪府庁前を通り、行宮(本町橋)に向かいます。






途中、枕太鼓の大きな音が聞こえると、商店の人が出て来て見送ってられました。
私は、自転車で、追っかけです。



行宮に到着。


ここでも、厳かに神事が行われます。


一般でいたのは、私一人だったような気がします(;^ω^A
(一般の者がいてもいいか、きちんと尋ねましたよ。)

ここでは、最後に獅子舞が奉納されました。


夜に行われる勇猛果敢な枕太鼓の「おねり」もいいですが、
今回は、祭り本来の意味を知ることができ、雨の中でも行ってよかったです。

人ごみが苦手な私には、ちょうどよかったかも。
かっこいい願人(がんじ)の写真もいっぱい撮れたし(〃∇〃) ←祭りの男が大好き




※願人の装いは「晴着」と呼ばれ、赤い頭巾をかぶり、瓢箪模様の法被を着ていますが、これは「忍び」の姿が起源といわれているそうです。


関係者の方から、「上手に写真とってや!」と言われたので、このブログを見られるかどうか分かりませんが、アルバムにしておきました。
■20110712 いくたま夏祭 本宮

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