2011/05/19

福島区海老江へ1 淀川改修工事

3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震から、二か月が過ぎました。

地震が起きた翌日のブログ(こちら)には、このようなことを書きました。
 大阪では、明治18年〈1885年〉に、被災者27万人、大阪平野が1600年前の状態に戻ったといわれる洪水災害がおこりました。オランダ人技師デ・レーケが中心となり、長年にわたり淀川改修工事が行われ、今の大阪があります。
 今回の巨大地震により津波にのみ込まれた地域も、以前より、災害に強い町に、再生、復活しますように。

災害の記憶を風化させてはいけない。
しかし、大阪に住む者としてどれだけ明治18年に起きた大洪水のことを知っているかというと・・・
私は、堺出身であまり知らないのです(^_^;)
だからと言って、大和川のこともあまり知らないのですが(^_^;)

江戸時代、三十石船が京都伏見と大坂を行き来した淀川。
5月9日に枚方に行ったのは、その川港ということだけでなく、
明治18年の洪水とその後の改修工事のことを知りたかったのもありました。

願いがかない「くわらんかギャラリー」のおかみさんには、当時の写真を見せていただいたり、
お話を伺えて、とても参考になりました。

これは枚方にあった明治十八季淀川洪水碑。
明治18年、淀川で発生した未曾有の大洪水は「伊加賀切れ」と云われ
大阪平野が1600年前の状態に戻ったといわれています。(伊加賀は枚方の地名)



明治18年の洪水をきっかけに、明治29年河川法が制定され、
淀川の洪水対策が本格化し「淀川改良工事」が行われました。
(詳しくは、淀川河川事務所のこちらのページをご覧ください)

川幅が狭く蛇行していた旧淀川(大川)の北側に新しい放水路を開削し、
川幅を大きく拡げて、大雨の時に大量の水を直線的に素早く海に流せるよう新しい川を造りました。
これが今の淀川。下の地図の赤の部分です。
地図を見てわかる通り、淀川改修工事で海老江村(現在福島区)北部の90町余が新淀川河床になりました。

明治20年の地図(淀川資料館に展示されていた地図に追記)



そういうこともあって昨日は、福島区海老江に行ってきました。
とりあえず、その地に行ってみたい派です。

地図の★印、海老江中公園に淀川改修記念碑がありました。


地図を見ると、ただ単に防波堤を強固にしたということだけでないのがよくわかります。
川そのものを造り直したということです。
現在の淀川が流れる場所には、そこに住んでいた人の生活があり、
犠牲の上に成り立っているわけですね。。。


わかりにくい写真ですがここに新淀川にかかる淀川大橋があります。


淀川大橋(大正15年完成)になる前の橋は、明治41年に完成した西成大橋で、
南側の親柱は海老江八坂神社の境内にありました。(北側の親柱は、西淀川区にある鼻川神社の境内)




ズドンとした大きな川幅で大阪湾に流れ込む今の淀川を改めてGoogleマップで見ると、
感慨深いものがあります。



明治29年(1896年)から明治43年(1910年)まで、
約14年にもわたる歳月をかけて完成した淀川改良工事。
100年も昔によくこれだけのことが出来たと驚きます。


また、風のない日に淀川沿いを自転車で走ってみようと思います。
上流は、伏見まで。下流は、もちろん河口まで。
制覇できるかな?

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