2011/03/22

桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿 柳切るのは愚の骨頂

3月に入ると『柳 新芽』という検索キーワードが増えます。

3月6日(5日の年もある)の二十四節気の一つ『啓蟄』(けいちつ)の日の説明に、
大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。『暦便覧』には「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されている。
柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲くころ。

と柳のことが書かれているからかも知れません。

また、こういう漢詩を味わうために調べているのかもしれません。(↓書き下し文)
「春思」 賈至
草色青青として柳色黄なり
桃花歴乱として李花香し
東風為に愁いを吹き去らず
春日偏に能く恨みを惹いて長し


茶道の抹茶茶碗でも、『桃柳茶碗』というのがあるほど、今の季節は、桃と柳がセットです。


その『柳 新芽』をGoogleで検索すると、約367,000件中、このブログは2件目に表示されます。
マイナーブログのわりに、Google検索にはなぜか気に入られています(-"-;A

表示されるのは、『柳の新芽と桃園』という記事のページ。

そこには、中之島の大阪市役所前の写真を載せています。
こちらにも持ってきました。2009年3月16日に撮った写真です。


柳の花


柳の新芽





なのに、2010年5月15日頃には、整備工事中となり・・・


柳の木は全部なくなりました(T_T) 2011年3月21日撮影



本当だったら、今の季節、柳の新芽が風にそよそよ、そよいでいる頃なのに・・・ 

中之島というと、中央公会堂を代表とする建物のイメージがありますが、
私は、『柳』というイメージもありました。

柳の場所には、浮浪者っぽい人もいましたが、
きれいに整備するのに、柳の木を切る必要はあったのでしょうか?


昨年、柳の木がなくなった時、すっごくショックだったのですが、
今年、柳の新芽の季節になり、また寂しさが蘇ってきました。


気になって調べてみると、この中之島の柳には「沢正柳」という俗称がついていたようです。

「沢正」というのは、沢田正二郎。 「新国劇」の創始者です。
大阪日日新聞のなにわ人物伝-光彩を放つ- 沢田正二郎 に詳しく書かれています。
↓一部引用します。お許しください(。-人-。)
 沢田正二郎は、「新国劇」が苦難のどん底にあったとき、大阪弁天座の「月形半平太」が大当たり。これで世に出たから彼は生涯大阪を第二の故郷だと感謝している。
   (中略)
 中之島公園(北区中之島)に柳が多いのは、大阪市民に感謝して正二郎が柳の木を植えたのが起こりである。もちろん小野道風が若いころ何度もあきらめずに柳に飛びつく蛙(かえる)を見て、失敗にこりず努力の大切さを学んだという伝承「柳蛙」の心意気を形にしたもので、今でも俗に「沢正柳」と呼ばれている。


※「沢正柳」を検索しても、出てくるのは大阪日日新聞のページだけです。
 「沢正柳」と呼ばれていたことを知っている人は、今ではあまりいないかもしれません。


こういう感謝の気持ちがこもった、「柳蛙」の心意気を形にした柳だったのに・・・
大阪市は、いったい何を考えているのでしょう。。。


先日見学した旧・八木通商ビルのような近代建築がなくなるのも寂しいけど、
こういう木が、いとも簡単に排除されてしまうのも寂しいです。


柳がなくても、柳のおばけが、大阪市職員にたたってでるかもしれないぞ~~(m~-~)m

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