2011/02/18

壽初春大歌舞伎

歌舞伎俳優がまた週刊誌になにやら暴露されているようですね。。。

片岡秀太郎さんの芸養子になった片岡愛之助さん。
ん? 片岡秀太郎さんは、1月に観た歌舞伎に出演されていた方!
といっても、女将の姿でしか思い浮かばないのですが、
怒ってはるんでしょうか(-"-;A

歌舞伎界の隠し子といえば、市川染五郎さんや、市川海老蔵さんも。
この隠し子騒動があって、松本幸四郎さんや、松たか子さんは好きでも、
市川染五郎さんは、どうもいい印象がなかったんですよ。

でも、その親子共演を観たくて行ったという1月の壽初春大歌舞伎。
配役をコピーして下書きのまま、ほったらかし状態でした(;´▽`A``
この際、書きあげておきます。いいきっかけになりました。

大阪松竹座 壽初春大歌舞伎
平成23年1月26日(水) 昼の部

一、玩辞楼十二曲の内 土屋主税(つちやちから)
 第一場 向島晋其角寓居の場
 第二場 土屋邸奥座敷の場

土屋主税  中村翫雀(成駒屋)
大高源吾  市川染五郎(高麗屋)
晋其角   嵐橘三郎(伊丹屋)
落合其月  坂東薪車(音羽屋)
侍女お園  中村扇雀(成駒屋)

 俳諧師の其角(きかく)の家に、赤穂浪士の一人、大高源吾が仕官が決まった暇乞いに訪れます。其角が詠んだ「年の瀬や水の流れも人の身も」という上の句に対し、源吾は「あした待たるるその宝舟」と附け句をして帰って行きます。
 その夜、吉良邸の隣、土屋主税の屋敷で行われた句会で其角から昼間の一件を聞いた赤穂贔屓の主税は、源吾が詠んだ下の句の意味を探ろうと思案するうちに、その真意を察します。やがて隣家の吉良邸から太刀音が鳴りわたるのを聞いた主税は、喜び勇んで要所に高張提灯を灯し、赤穂浪士へせめてもの力添えをするのでした。
 「玩辞楼十二曲」の一つで、吉良上野介の隣家に住む旗本・土屋主税の屋敷が舞台となる忠臣蔵の外伝物です。翫雀が勤める土屋主税の、内心で討入りを待ち望む心情表現が見どころです。


二、男の花道(おとこのはなみち)
第一幕
 第一場 東海道金谷宿なる旅籠松屋の店先
 第二場 同 裏の部屋
 第三場 同 奥の離れ
 第四場 同 奥の離れ
 第五場 元の松屋の店先
第二幕
 第一場 茶屋むさし屋の二階座敷
 第二場 山谷堀の料亭万八の離れ
 第三場 中村座の舞台
 第四場 元の万八の離れ

加賀屋歌右衛門  坂田藤十郎(山城屋)
万八女将お時  片岡秀太郎(松嶋屋)
加賀屋歌之助  市川染五郎(高麗屋)
加賀屋歌五郎  松本錦吾(高麗屋)
田辺妻富枝   上村吉弥(美吉屋)
加賀屋東蔵   坂東竹三郎(音羽屋)
田辺嘉右衛門  中村翫雀(成駒屋)
土生玄碩     松本幸四郎(高麗屋)

 歌舞伎の女方、加賀屋歌右衛門は、失明寸前のところを旅の宿で出会った蘭方医の土生玄碩(はぶげんせき)の手術によって救われます。固い友情で結ばれた二人は、刎頸(ふんけい)の交わりを確かめ合い、後の再会を誓って別れます。
 数年後、当代一の人気役者となった歌右衛門の元に、やむを得ぬ事情から、今すぐ歌右衛門に来て欲しいと苦境を知らせる玄碩からの手紙が届きます。折しも今は舞台の最中。役者にとって何よりも大事な舞台と、大恩人の狭間で悩む歌右衛門。決断を迫られた歌右衛門が取った行動とは・・・。
 映画で評判を取り、昭和三十七年に初めて舞台化された作品です。江戸時代の人気女方歌右衛門と、将軍の侍医にもなった名医土生玄碩はともに実在の人物で、二人の男の友情を描いた心温まる名作です。
 藤十郎が当たり役の歌右衛門、幸四郎が初役となる土生玄碩という話題の配役にご期待下さい。



はっきりいって、もう3週間以上も経ったので、覚えていることをメモ程度に。
ってこればっかり^^;
そして、メモといいつつ、だらだら長い^^;
しかも、観ていない人にはわからない内容という^^; 
遠慮なく読み飛ばしてください。


◆松本幸四郎さんと松本染五郎さん。
歌舞伎を観る前に、ふと本屋で目にとまったこの本を読んでいました。
「父と娘の往復書簡」 松本幸四郎、松たか子(著)


正月から大植英次さん指揮の交響詩「ドン・キホーテ」を聴き、
「ドン・キホーテ」を元にしたミュージカル『ラ・マンチャの男』でも有名な松本幸四郎さんの
歌舞伎を観るなんて、なんか繋がりを感じるなぁ、なんて思っていました。

 歌舞伎では、「役を勤める」というが、僕にとってのキホーテも、「演じる」というよりはむしろ、「勤める」ことなのではないかとかと思っている。
 「勤める」というのは、「演じる」ことを「続ける」ことだと思う。それの、ただ続けるのではなしに、途中何があっても、形だけではなく、心をこめて演じることをただひたすら続ける。そうやっていくうちに、役と役者の間に、ある種不可分な関係が成立する。これが「役を勤める」ことの意味ではないかと。

  芝居というものは、何度もやっているとだんだん上手くなっていくように思うだろうが、それは違う。芝居というものは、何度もやっているうちに、だんだん下手になっていくんだよ。上手くなったと思うのは慣れからくる錯覚だ。
 ピカソの言葉に「絵は上手くなるんじゃなくて、変化するだけだ」というのがある。芝居も然り。弁慶もキホーテも、年を経るごとに、回を重ねるごとに、何らかの変化はあるだろう。でもそれは、断じて上手くなったということではない。
 「花形」と言われた若いころは、若さゆえの美しさや勢いがあって、それが芸を凌駕しているから、たとえ未熟であっても、それなりの「時分の花」を咲かせることができる。これが年を重ねると、書で言えば「かすれ」や「にじみ」のようなニュアンスが加味され、今までとは違った味わいを醸すようになる。しかし、これは上手くなるというのとは違う。ピカソの言葉を借りれば、ただ変化しているだけなのだ。
 芸は、留まってしまったら終わりだ。変化し、進化し続けることでしか、芸としての生命を永らえることはできない。芸とは、それだけ厳しく危ういものであるということだ。


私が観に行ったのは、千穐楽。
ただ単に最終日は盛り上がるのかな?と思ったのですが、
そういうことより、出来れば(お金があれば)初日と千穐楽を観て、
幸四郎さんが書かれているように、土生玄碩という人物を
どう熟成させたかを観てみたかった。

まっ、これは贅沢な話。
幸四郎さんにとっては、土生玄碩は初役。
本の中でも、
役者には、役の性根をよくわきまで肚(はら)から芝居をすることが求められる。僕なら僕が演じた役に、「幸四郎の肚」を感じていただきたいと思って舞台を勤めている。その肚を解っていただけたら、僕はこの上なく幸せだ。


とありました。
※この「肚」というのは、「腹のうち、心の中」という意味があるようです。

どれだけ私が幸四郎さんが演じた土生玄碩に「幸四郎の肚」を感じれたか・・・
そう問われるとなんと答えればいいのかわからないけど、
3週間経っても、いろいろな場面の表情が鮮明に思い出せます。
ただ単に真面目で堅物な名医というだけじゃなく、
歌右衛門が舞台の途中でも駆けつけるだけの、
人間味ある暖かい医者を演じられていました。


「男の花道」は、歌舞伎より、新劇っぽい内容だったのですが、
「父と娘の往復書簡」を読んでいたので、このほうがよかった気がします。

実際、幸四郎さんのお母様が危篤の時、舞台がありすぐに駆けつけられなかったのですが、
舞台を中断してまで歌右衛門が玄碩の元に駆けつけた状況をどう思われたのでしょう。

私は、もう涙、涙で、「もういいから、早くいってあげて~o(;△;)o」とボロボロになりました。
役者は、舞台があれば親の死に目にも会えないといいますが、
事情さえわかれば、「行ってあげて~o(;△;)o」という観客の心があります。
でも、そのことに甘えてはいけないと、辛い時も演じあげる役者魂もあります。
実際には、なかなかそうは出来ない場面の中に、本当の観客の心と、役者の心が交差し、
なんかこう、すごく感動しました!(←うまく書けない)


隠し子の件があり、あまりいい印象がなかった染五郎さんも、
初めて歌舞伎での演技を拝見し、マイナスイメージがぶっと飛びました。

大高源吾で、花道を通る時なんて、もう、オーラが:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
「時分の花」というだけでなく、なんていうか、、、
まいりましたm(_ _ )m


◆歌舞伎の中の文楽
文楽・・・もまだ記事にできていませんが、歌舞伎にもお染さんが登場しました。
それも、文楽の時と同じ衣装で!びっくりしました!!!
いつかは「櫓のお七」を、文楽、歌舞伎それぞれで観てみたいです!

また、この「櫓のお七」の舞の途中で、
歌右衛門が恩人の元に行かなければならなくなったと観客に懇願する場面。
いつの間にか、観ている私たち観客が舞台の観客にもなっていて、
通路や、2階席にも役者さんが配置されている驚きの演出。
この場面は、何度も書きますが、本当に胸打たれ感動しました。

◆女形
加賀屋歌右衛門を演じる坂田藤十郎さんは、79歳。
なぜ、あの老人が、、、というと失礼だけど、
どうしてあんなに艶っぽい女性になれるんだろう。
手の動きを見ていると、細くて、白魚のような指に見えたんです!
他の方も色っぽい。。。 歌舞伎の女形ってすごい。


歌舞伎も観に行ってよかった。
次回は、3月に京都南座に観に行きます。
大阪府の半額観賞会に申し込めたので(^_^)v

0 件のコメント:

コメントを投稿