2011/02/09

大阪国技館跡

先日、チャスカ茶屋町の大きな本屋さんで買ったこの本。

「大阪の近代建築と企業文化」 <新なにわ塾叢書2>
橋爪紳也, 石田潤一郎, 山形政昭, 佐野正一, 栗本智代, 酒井一光, 川嵜千代,
新なにわ塾叢書企画委員会, 大阪府立文化情報センター


芝川ビルのことが第6章で詳しく載っていたので買ったのですが、
一章から気になることを橋爪氏が書いてられるのです。
現存していないが、キラッと光る面白い建物の紹介として↓

 大正時代になって、大阪相撲と東京の大相撲が合併して大日本相撲協会ができた。それ以前は大阪と東京それぞれに相撲協会があって、別々に興行をしていました。東西別々の文化です。そこで大阪にも常設の相撲施設がほしいという動きが顕著になり、関目の大国技館ができました。



関目って、近くやん!!!!!

どの辺なの?と調べ、城東区のHPでみると(こちら)、
鶴見緑地公園に行く時に、いつも自転車で通る場所なのです!


八百長問題で今後どうなるの?という相撲界。
大阪春場所が中止になり、両国国技館が没収される恐れも出て来た中、
いくら個人的に建物に興味が湧いたからって、
大阪にも国技館があったなんていう記事を書くのは、如何なものか・・・・・・・・

と悩んだのですが、
橋爪氏がこんなことも書かれていたので、考えてみることにしました。

地域にとって大事な存在だったのに語られることもなくなった建物を、その時代背景と共にもう一度語り直すということが大切なんじゃないか。


まずは、現地へ。 (2月8日、昨日行っていました)

運河沿いのそれらしき場所付近には説明板がありました。




大阪国技館跡と元相撲茶屋(古市2丁目)
 昭和12年(1937年)3月竣工した大阪国技館は、東京の国技館に匹敵するものを作ろうということで建設されました。敷地6000坪、建坪3000坪、鉄筋コンクリート4階建ドーム式、収容人員25000人の、当時としては国内屈指の屋内スポーツ施設で、同年6月には大阪準本場所が開催されました。
 実際に存在した場所は位置図に示している辺りで、正面玄関は真北を向き、それより伸びる通りには、2階を力士の宿舎とする茶屋が立ち並び、にぎわっていたそうです。

 昭和16年(1941年)太平洋戦争勃発のため、実際に興行(準本場所)が打たれたのは計7回で、屋根に葺かれていた赤銅等はすべて軍事用に供出し、終戦後の昭和26年(1951年)頃に解体されるまでは倉庫として使用されていました。
 今では、住宅団地が立ち並び、わずかに元相撲茶屋の街並みを残すばかりとなっています。
平成14年3月 城東区役所




立派な建物ですね。もっと詳細がわかる写真が見てみたいです!


現在 「リビエール関目」というUR都市機構の賃貸住宅の建物が建っています。




こけら落としの大阪準本場所は、連日「満員御礼」の垂れ幕が下がり、
梅田駅と難波駅から市バスが臨時運行したそうです。
熱狂ぶりがわかりますね。




2階が力士の宿舎になっていた相撲茶屋


元相撲茶屋を思わせる建物が残っていましたが、上の写真と同じかどうかわかりません。


この通りの左右には相撲茶屋が建ち並び、
突き当りに大阪国技館がそびえ立っていたのです。


一番賑わったであろう、大阪国技館前のT字路もこの通り駐車場に。。。






より大きな地図で 大阪国技館跡 を表示


◆大相撲が国技である由来 1909年(明治42年)、東京・両国に「相撲常設館」が完成。その際に3代尾車親方が命名委員会(板垣退助会長)に「国技館」と名付けるよう提案。それを了承したことが由来とされる。監督官庁の文部省(当時)に提出した相撲協会寄附行為第3条には「この法人は、わが国固有の国技である相撲道を研究し…」と記され、省令認可されている。(こちらから引用)




さて、ここでこのことを考えたいと思います。
地域にとって大事な存在だったのに語られることもなくなった建物を、その時代背景と共にもう一度語り直すということが大切なんじゃないか。


ここまでして、足を運び、記事を書いているのだから、相撲ファン?と思われるかもしれませんが、
私は、全く相撲に興味がありません。

相撲と言えば、死んだ祖父が大好きだったということ。
両親も、年をとるほど見ていたように思います。

この大阪国技館が出来た頃に生きていた人達です。

この大阪国技館が出来た時は、そりゃ~もう、大阪&近辺の相撲ファンは喜んだことでしょうね。
東京に負けじと立派な建物を建てて、相撲茶屋通りは賑やかで、
その通りをぬけて大阪国技館に向かうのはどれだけ意気高揚したことか。

しかし、それもつかの間。
太平洋戦争が勃発し、興行は中止になり、
屋根に葺かれていた赤銅等はすべて軍事用に供出され、
戦後復活することはなく。。。

残念だったことでしょう。

この戦後を生き抜いてきた人達が、「裸一貫やり直す!」と思う中には、
まわし一つで戦うお相撲さんを思い描いていたのではないでしょうか。

この時代に少年、青年だった昭和ひとケタ生まれの人達は、80歳前後。 
みな老人です。

インターネットを楽しめる人なんてわずかでしょう。
テレビが大好きで、相撲の放送を楽しみにしている人達が多いと思います。

八百長に怒りを感じても、昔の方がよかったと嘆いても、
それでも楽しみにされている根強いファンがたくさんいるのも事実だと思います。

八百長は、いけないと思います。
でも、お年寄りに言わせれば、百も承知の相撲の世界であるかもしれません。
(↑実際のところどうなんでしょう???)


私は、相撲も、野球も、サツカーも興味がないからどうでもいいんです。

でも、戦後を生き抜いてきた、年老いたじいちゃん、ばあちゃんの楽しみが
この春なくなるのは、本当にかわいそうだと思います。

相撲協会の膿を出しつくすのは、
世の中が戦争を知らない世代ばかりになった時でもいいのでは。
なんてことまで思いました。

どうなるんでしょうね。。。


★偏った独りよがりで、感情的な内容なのはわかっています。
こういう人もいて、ああいう人もいて、と思ってください。

2 件のコメント:

  1. 大阪大国技館のことを調べている間にたどり着きました。以前大阪に住んでいたときに知っていればと…
    相撲茶屋の面影の残る建物の写真を見られてとても嬉しかったのでコメント残させて頂きます。

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  2. ケンさん、はじめまして。コメントありがとうございます。随分前に書いた記事がお役に立てたようで嬉しいです(^^)

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