2011/01/16

花なき大阪 から 花を楽しむ大阪へ

梅田北ヤード2期地区が緑地化する、ということで、「変貌する街。大阪」その2です。

未来や、他の都市に目を向け考えるのも必要だと思いますが、
大阪は歴史ある街なので、先人の声を聞くのもよいかと思いまして、
またもや、一柳安次郎(芳風)著の『漫録窓から』をひっぱり出してきました。

船場おんごく」「十日戎の謠」の記事でも引用した本です。

明治42年4月3日に書かれたので、約102年前ということになります。

 大阪は水の都である、舟の都である、煙の都である。断じて花の都ではない。水は大阪の生命である。舟は大阪の生命である。煙は大阪の生命である。併し、花は大阪の生命ではない。物質的文明は大阪の信念である。精神的文雅は大阪の生命ではない。金を度外視する人は大阪の圏内に入られぬのである。金銭から離れた興趣は、すべて大阪には容れられぬのである。大阪は金銭本位である、さてこそ大阪には花がないのである、花が喜ばれぬのである。否花が楽しまれぬのである。
 中之島公園には、花の木一つない。天王寺公園には、花の木一つない。櫻の宮には、櫻の木一つない。桃山には桃の木一つない。木のない處に花のさかないのは、尤である。大阪人=金銭本位からダ打算し、金銭本位から訓育せられた=の頭には花はない、目には花を見ない。金と共に花を見る人はあらう、酒と共に花を愛する人はあらう、併し花そのものを愛する人はないのである。否、花を愛する人はあらう。花を楽しむ人はとんとないのである。何と情けないではないか。
 大阪市を、趣味ある都としようといふ考のある人、大阪人を、余裕ある市民としようと思ふ人は、少くもここに頭をおかねばならぬ。芦邊踊に此花踊や浪花踊=銅臭粉々たる=人工の花を歓迎し、人工の花に酔へる間は、到底大阪には、花の都として発展する余地はない。大阪市民には、櫻はあまりに執着心が乏しい。梅は余りに仙骨を帯びてゐる。秋草や菊はあまりに超世間的である。妖艶あだたる桃、富貴の名を負ふ牡丹、やや嗜好に適ふであらうが、黄金の毛氈に見ゆる菜花こそ、最も大阪象徴を代表せる花であらう。
ー(四二、四、三)-



これを読むと明治時代というのは、大阪に花木が少なかったようですね。

そうだったのなら、現在、
中之島公園はここ数年で見違えるほど綺麗になり、バラ園が整備され芝生の緑地ができ、
天王寺公園も昭和62年の天王寺博覧会を機に物騒な公園から花壇が美しい公園になり、
桜之宮公園も桜の名所となり、
桃の付く地名の場所ではないけど、大阪城に桃園ができ、
「花を楽しむ」街に100年かけて、やっとなってきたのではないでしょうか。


大阪駅や、梅田北ヤードの辺りも、近松門左衛門の『曽根崎心中』が書かれた頃には、広大な墓地があり寂しいところだったようです。
徳兵衛とお初が、露天神の森へ行ったのもこんな感じ。(今の曽根崎新地のあたり)
この世の名殘り、夜も名殘り。死にゝ行く身をたとふればあだしが原の道の霜。一足づつに消えて行く夢の夢こそ哀れなれ。あれ數ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、殘る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め。寂滅為楽と響くなり。鐘ばかりかは、草も木も。空も名残と見上ぐれば、雲心なき水の音、北斗は冴えて影映る星の妹背の天の川、梅田の橋を鵲の橋と契りていつまでも、われとそなたは女夫《めおと》星、必ず添うと縋り寄り、二人が中に降る涙、川の水嵩《みかさ》も増さるべし。



鉄道を走らせ、大阪駅を作るため、ご先祖様が眠る墓地を取り上げ開発、開発。
土地に余裕ができたらな、花を楽しむ緑地にし、人々が憩う場になれば、
土地の神様や、追い出されたご先祖様も喜ぶことでしょう。

商売繁盛で、あれだけ多くの人が今宮戎神社に参拝する大阪。
私利私欲のためだけに信心深くては、神さんは、悲しまはります。


昨今のぎすぎすした人間関係を和らげるためにも、
大阪の玄関口に、心憩える、花が溢れる緑地にするのは大賛成!


大阪市を、趣味ある都にし、大阪人を、余裕ある市民に!
花を楽しむ大阪へ!

先人の意見に賛成(^-^)/


それに加えて、水路や、水場もつくって 巨大アヒルちゃんをぷかぷか♪
ええやん ええやん (‐^▽^‐)

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