2010/11/21

船場 おんごく

NHK番組『よみがえる「ラジオ歌謡」とその時代』で、
宮原禎次作曲の交響組曲「大大阪」(1940年、昭和15年)が演奏されました。
(その時の記事はこちらです。)

その中の第3楽章で歌われた「おんごく」(大阪童謡)を調べていると
興味あることが数珠つなぎに出てきました。
それを記事にしようと思うと、
どうまとめていいかわからなくなり、だんだんおっくうに(-"-;
でも、興味ある方が検索で辿り着くかもしれないので、メモ程度に残しておきます。


『おんごく』は、郷土研究「上方」(第20巻) 盆踊考 松本茂平と、
「大阪ことば事典」(牧村史陽編)に説明がありました。

「おんごく」は、明治・大正期まで七夕やウラ盆の夕暮に船場あたりのいとはん達が、
たがいに相手のうしろ帯を持って列を組んで唄い遊んだ船場の数え歌です。

テレビ放送では、説明のテロップとともにこの絵が映されました。
木谷千種「をんごく」1918年(大正7年)


「大阪ことば事典」には、このような挿絵がのっていました。


そして、一柳安次郎(芳風)著の 『漫録窓から』からこのような引用文がありました。
情景がとてもよくわかります。

 「おんごくなはヽ」 (明治41年)
(一部略)
 こんな可愛い歌声が、アチラコチラに聞えて、赤い赤い紅提灯が、向うからも来る、あちらからも来る、時には隣町のと町角で衝突することもある。紅提灯、歌、子供、乳母、丁稚、夏の夕方は、この行列で非常に詩的化せられるので、両親や兄姉の大人達は、店先に床几を出してその行列を歓迎すべく、涼んでいる。昼中、俗の俗のそろばん珠の音よりほか聞えぬ大阪の街も、この時は何となく天国化せられた心持がするので、歌ひゆく子供の心にも、この時ほど極楽郷・歓楽郷と思ふ時はない。
 さるにても、物質的文明の進歩して、市街には人車・電車・自転車・自動車のゆきかふ今日では、再びこんな優美悠長なことは見られない。無邪気な子供まで、その迫害を受くるとは、あゝ文明は禍なるかな。



『上方』20巻 盆踊考では、「大阪のおんごくは小町踊りの遺風であると云われている」と書かれてありました。
京都では、7月7日、白峯神宮で「七夕小町踊り」の行事があります。
これは、一旦途絶えたものを昭和37年に復活させたようです。
大阪の船場でも、なにかしら、復活があればいいのに・・・
「愛珠幼稚園」の子供たちで、ということは、難しいのかな。。。


少ない資料ですが、これらのことから情景を思い浮かべ、
宮原禎次作曲の交響組曲「大大阪」第三楽章を聴くと、さらに感慨深いです。
メロディーが、どれだけ実際の歌に近いかは、大阪府立図書館にある「大阪府の民謡」(昭和62・63年度府内民謡緊急調査より)のCDを借りればわかりそうですが、そこまでは出来ていません(;^_^A


歌詞は、いろいろなバージョンがあり、それも「上方」と「大阪ことば事典」に載っていました。

これは、宮原禎次作曲の交響組曲「大大阪」第三楽章の歌詞です。

おんごくなはは
なははや おんごく なはよいよいよい
何がやさしい 蛍がやさし
ちしゃの畑で 灯をともす
ありゃりゃ こりゃりゃ さあさよいやさ

うちの隣の久太郎さんは
馬に乗ろとて 馬から落ちて
竹のちょっぴりこで 手のひら突いて
医者にかけよか 眼医者にかきょか
医者も眼医者もご無用でござる

あの山越よか この山越よか
賽の河原で 碁石をひろて
砂で磨いて 母屋へあげて
母屋姉さん 金かと思い
これが金なら 帯買おか
ありゃりゃ こりゃりゃ さあさよいやさ

一おいて回ろ こちゃ市たたぬ 天満なりゃこそ 市たちまする
二おいて回ろ こちゃ庭掃かぬ 丁稚ならこそ 庭掃きまする
三おいて回ろ こちゃ三味弾かん 芸子ならこそ 三味弾きまする
四おいて回ろ こちゃしわ寄らん 年寄りならこそ しわ寄りまする
五おいて回ろ こちゃ碁は打たん 良い衆なりゃこそ 碁は打ちまする
六おいて回ろ こちゃ櫓は押さん 船頭なりゃこそ 櫓は押しまする
七おいて回ろ こちゃ質置かん 貧乏なりゃこそ 質置きまする
八おいて回ろ こちゃ鉢割らん ねずみならこそ 鉢割りまする
九おいて回ろ こちゃ鍬持たん 百姓ならこそ 鍬持ちまする
十おいて回ろ こちゃ戸はたてん 大工なりゃこそ 戸はたてまする



以下は資料からの引用です。

◆『陶犬新書』巻一 「あわざからす」の条 (天保3年)
からすめがナハゝ ナハゝやからすめが ナハヨイヨイ
あわざからすめが ナハヨイヨイ
あわざからすめが 新町へうせて
かねも持たずに かをかをとったふ
新町みすじに 阿波座といふところあれば、それにかけてあわざからすという也云々




◆『守貞漫稿』第二十五編、遊戯の部より
※江戸時代の風俗、事物を説明した一種の類書(百科事典)。起稿は1837年(天保8年)。

おんごくと云ふことの起り、或人曰く、昔の唄に
 わしは遠国(おんごく)越後の者で、親が邪見で七ツの時に、売られて来ました。云々
是を始とすと云へり。然るや否や。今世唄ふ処左に

おんごくなはゝ
なはゝや おんごく なさよいよい
船は出てゆく 帆掛けて走る
茶屋の娘は 出てまぁねくさちぁや
あのむーすめーはでーてまぁねく
ありゃりゃ こりゃりゃ さぁさよいさよいさ

おんごくなはゝ
なはゝや おんごく なさよいよい
賽の河原で碁石をひろて 
砂で磨いてあこやへあって
阿古屋姉さんかねかと思て
金じゃござらん碁石でござる
是がかねなら帯買ぁをゝとさ
こーれがかぁねなあゝら、
おゝびかぁをと
ありゃりゃ こりゃりゃ さぁさよいやよいやさ



◆明治時代のおんごく歌として最も一般的なもの

おんごくなはは なははやおんごく なはヨイヨイ
舟は出ていく 帆かけて走る
走る姿がおもしーろい
水道(すいど)だのき(狸)が 坊主に化けた
ばけた姿がおそろーしーい
アリャリャ コリャリャ サァサヨーイヤサ

おんごくやさしや やさひやおんごく なはヨイヨイ
なにがやさしや 蛍がやさし
草のかーげで火をとーもす
アリャリャ コリャリャ サァサヨーイヤサ

こーれも まーつさーか越ーえりゃやっさ
それも見て見よ 川瀬のやっさ

一おいて廻ろ こちゃ市ゃ立てん 天満なりゃこそ 市立てまする

・・・



こういう言葉遊びみたいなものは、結構好きです(‐^▽^‐)

今度、巨大アヒルちゃん(ラバーダック)が登場する京阪中之島駅の対岸は、ほたるが全くいなくても「ほたるまち」という名前がついているようですが、昔は、水都大阪の川のほとり、いたるところで、ほたるの光がやさしく光っていたのでしょうね。。。
今では、太閤園にほたるはいるのみ。
来年は、「なにがやさしや 蛍がやさし」と口ずさみながら、
太閤園のほたるを見に行くことにしましょう♪


それと、「天満なりゃこそ 市たちまする」の、「~なりゃこそ、~まする」というのですが、
フランク永井さんの「大阪ぐらし」という歌で、
  娘なりゃこそ 意地かけまする
  おなごなりゃこそ 願かけまする
という歌詞がでてきます。

フランク永井 大阪ぐらし 1980


作詞は、石浜恒夫という方で、大正-昭和時代の東洋史学者石浜純太郎の息子さんになるそうです。
大阪出身の方なので、「おんごく」を聞き慣れていて、こういう言い回しの歌詞を書かれたのでは、、、
どうでしょう? だとしたら、お洒落ですよね~♪



「おんごく」はここまでとして・・・
資料集めの中で出てきた、一柳安次郎(芳風)著の『漫録窓から』が読みたくなって、図書館で探してみました。
大阪市立図書館にはなく、大阪府立図書館にあったのですが、個人貸出不可(T_T)
ちょっと高価だったのですが、古書で出ていたので購入しました。

一柳安次郎という方。
旧制市岡中学の一期生で、母校で国語教師をされていて、あの直木賞の直木三十五(本名植村宗一・明治二十四年生)は教え子だったらしいのです。(こちらのブログで知りました)

となれば、お二人がそれぞれ書かれた本は、私の本棚で劇的再会をしたということになります!


また、一柳安次郎は、懐徳堂の復興に関係する「大阪人文会」の会員でもあったようです。

『漫録窓から』は、興味深いことばかりで、毎夜読むのが楽しみでなりません。
また、いずれ記事にできればと思いますが・・・・・・・・ (^_^;)


古書として、もう一冊でているので、大阪市が買って、大阪市立図書館にも保管して欲しいです。
大阪の貴重な資料となる本です。こういうことは、要望できるのかな・・・


★入力間違いが多々あるかもしれないので、追々訂正していきます。


とりあえず、アップできた。よく頑張ったよ。 私。


 

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