2010/02/27

写真を通じての会話

少し前、以前に書いた記事について問い合わせがありました。
戦争の時、金属供出で鉄の塊となった四天王寺の普賢菩薩銅像の絵葉書についてです。

レンジャー前田さんという写真家の方で、
 「小さい頃に天国に旅立った祖父が写していた戦前の写真たち
   その場所を探し出し、70年の時空を超えて同じ位置に立ち写そう!」
という、『お爺ちゃんと俺の二人展』をブログで開かれています。(テレビでも放送されたそうです。)

私がここでどうこう説明するより、続きはレンジャー前田さんのブログでどうぞ(^-^)/
ブログトップはこちら  studio model K's な きらめき
記事はこちらからどうぞ 「お爺ちゃんと俺の二人展」 第十二話
第12話を読めば、きっと第1話から読みたくなりますよ(o^-')b

私が、「眠り猫」のことで調べている資料が役に立って嬉しいです(‐^▽^‐)

ふと思ったのですが、例えば阪神淡路大震災で被害のあった生田神社は、テレビの報道でペシャンコに崩れてしまった姿が脳裏に焼き付いています。でも、四天王寺が戦争で受けた被害のことは、あまり知られていないのではないでしょうか・・・
「復興 四天王寺」という本の写真の引用です。

これが、レンジャー前田さんのお祖父様が散策されていた罹災前の四天王寺。


上の写真↑の赤の部分が昭和20年の空襲で焼け野原になってしまいます。
(文字、赤の部分は私が記しました。)

炎上直後の四天王寺境内はこちら↓です。(昭和20年12月1日)


あたり一面の焼け野原( ̄□ ̄;)!!  五重塔、建物がないo(;△;)o
残っているのは、石の燈籠と墓石だけ。。。

このことを思うと、現在の四天王寺の復興は、輝かしいです。
たくさんの人の信仰の心があって今があるのだと思います。

そして、レンジャー前田さんのお祖父様が撮られた写真は、戦前の貴重な資料だと思います。
これだけ焼けてしまった中、奇跡的に残った六時堂。
絵葉書に写っていた六時堂と、現在の六時堂を同じ場所で見れることも奇跡的なことです。
絵葉書も確か、北海道の古書店から取り寄せたものだったと思います。
いろいろなものが、今という時代に運命的に出遭ったのでしょうね。


戦争というちょっと重い話になったので、こういう話も。
造幣局の桜の通り抜けの時に撮った八重桜の「普賢象」。
花の中から葉化した雌しべが突き出し、その先端が屈曲する状態が、普賢菩薩の乗る象の鼻に似ているところから、この名が付けられたそうです。


今の大阪を大切にしていきたいです。

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