2010/01/21

船場に残るうだつ

2009/12/11の記事「うだつ、梲、卯建、宇立」のつづきです。
(写真は昨年末に撮ったものです。)

「大阪うだつ」の特徴を調べたかったのですが、「袖うだつ」のことを言うのか、あまりはっきりしたことがわかりませんでした。建築雑誌の特集などにあるのかもしれないですが、見つからなくて。。。 分類もいろいろあって、うだつなのか、防火壁なのか・・・と疑問が残っています(-"-;A
「大阪うだつ」はあまり専門的に調べられることなく、新しいビルに建て替えられた気がします。本に載ってあった中央区安堂寺橋のうだつも見つかりませんでした。

今回私が撮った建物は、明治から昭和初期に建てられたと思われますが、ビルの間に残り、いつ建て替えられてもしかたない・・・という存在だと思います。確実に残るのは、重要文化財になっている旧小西家住宅(道修町)だけかもしれません。。。
※国立国会図書館所蔵写真帳の大正3年道修町の「薬種問屋の荷造 」の写真には、本うだつが写っていて貴重な一枚だと思います。

最後に載せた酒屋さんでは、大奥様にお話を伺えて、昭和初期の建物だと教えて頂きました。屋根の上に飛び出た部分だけでなく、隣との境の壁全部が「うだつ」で、これがあったから戦火から逃れられたと話されていました。「若いのに(全然若くないですが・・・)うだつなんて、よう知ってはった。」とえらく褒めて頂きました(*゚ー゚)ゞ

頭の片隅に残しながら、今後も調べてみようと思います。今福の方にも残っているようですし。今年の課題です。

■袖うだつ
旧小西家住宅。コニシ株式会社の旧社屋(旧小西儀助商店)。
大阪市中央区道修町1-6-10





三栄源エフ・エフ・アイ株式会社
大阪市中央区平野町1丁目4番9号





ビフテキのスエヒロ(平野町)
大阪市中央区平野町3-2-5





■本うだつ
本吉兆(高麗橋本店)
大阪市中央区高麗橋2-6-7







喜久屋本店
大阪市中央区平野町1丁目4-7





「うだつ その発生と終焉」中西徹 著
京都大学文学部哲学科美学・美術史専攻卒。
京阪百貨店の初代社長であった中西徹氏が、気軽なスケッチ旅行の中でふと出遭ったウダツ。
ウダツの分布を緯糸に、ウダツの歴史を経糸に、「うだつ学」を編まれた本です。
本の中の昔の家屋のスケッチは、写真以上に素晴らしいと思います。


図解江戸の暮らし事典 決定版―江戸時代の生活をイラストで解説 (歴史群像シリーズ)
「商家と町屋のうだつ」「うだつの目的と役割」という項目で2ページほどの解説が載っていました。



【余談】
牧村史陽の「大阪ことば事典」にはこのように書かれてありました。

 ウダツガアガラヌ
相当努力しているにもかかわらず、容易に成功しないような場合にいう。
『大言海』には、「うだちがあがらぬとは、圧しつけられて頭が上らぬ事に云ふ」と説明している。一般に「あがらぬ」と否定の場合に限り、「うだつがあがる」「うだつをあげる」などとはいわないようである。
  (中略)
現在、京阪地方でうだちというのは、隣家との境をなす屋根の切妻部において土塀のように突出する両流れの防火壁のようなものを指しているが、さらにそれから転じて表通りに面した大屋根の下の両端、小屋根との間に、脇障子のような形で直角に突出した小壁のことまでうだちと称するようになったらしい。この小壁は、戦時中、一時、防火のためにこれの復活付設が奨励されたことがあったが、現在、大阪にその遺構は全くなく、京都西陣付近や奈良辺にわずかに残っているのを見るだけである。
とにかく、こうしたうだちのあるほどの家は相当の建物であって、せめて一代のうちにこのうだちを上げた家を新築したいというのが、誰しもの念願であった。ところが、商売はなかなか思うようには行かず、容易にこのうだちを上げることもできない。そこで一生うだちが上らずじまいというようなことになってしまうのである。


否定でしか使われない説明が面白いですね。大坂の大町人学者と呼ばれる牧村史陽さんならではの解説です。

また、「あんなうだつの上らん男には嫁にやれん!」というのは、はなっから嫁にやる気がない時につかうのでしょうね(笑)

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