2009/12/21

うまいもんと大坂画壇 4

「花外楼と大坂画壇」
展示場入り口のパネルを読むと、気になることがちらほらと・・・
 花外楼は、各部屋の床の間を飾る調度としての掛軸にも特筆すべきものがあります。まず、威信の元勲の書画が残されていることは言うに及ばず、浪花の絵師、いわゆる大坂画壇の作品が整えられていることが特筆されます。浪花の老舗料亭として大坂の画家の作品を飾るということが、どれだけ作家を勇気づけたことでしょう。森琴石や庭山耕園、菅楯彦、武部白凰といった懐かしき浪花の作家が大切に活用されています。
 大坂画壇の展覧会が、ご当地大阪で開催されない今日、時に大阪画壇の展覧会場としての役割を果たしてきた花外楼をはじめとする老舗料亭の存在意義を今一度考える必要があると痛感いたします。(展覧会説明パネルより)


なぜ、芦屋市立美術博物館が継続して大阪画壇の作品を継続して紹介しているか。
なぜ、料亭が展覧会場の役割を担うことで大坂画壇の作家は勇気づけられたのか。
なぜ、今日でも大坂画壇の展覧会が、大阪で開催されないのか。

いろいろな事情があるようです。調べてみました。
私がヘタにまとめるより、大切なことなので原文の方がいいかと思い、引用の羅列になっています。お許しください。

まず、大坂画壇とは・・・
 江戸時代中期は、それまで主導的立場にあった流派が衰退の途をたどるなか、新しい絵画創造の道を模索しつつ、さまざまな画系が生まれていきました。大坂では、狩野派の系譜をひく狩野画系、四条派や森派などの写生画系、中国南宗画の影響を受けた文人画系、浮世の風俗や美人を描く風俗画系など、数多くの画系が隆盛し、江戸時代後期の画壇を多彩に彩っています。(吹田市立博物館より)


その大坂画壇の絵画がこういうことになっているようですヽ((◎д◎ ))ゝ

 「大坂画壇」絵画、流出に泣く 欧米注目、投げ売り状態
江戸中期から戦前まで「東京画壇」「京都画壇」と並び、多くの作品を生み出した「大坂画壇」の絵画が、大英博物館や米ボストン美術館など海外に流出し、大阪から姿を消しつつある。大坂画壇のレベルは東京、京都画壇と遜色はないが、価格が約10分の1というのが大きな理由。財政難の大阪の自治体は絵画購入まで手が回らず、美術関係者からは「公立美術館で流出防止の手を打つべきだ」との声も上がっている。
大坂画壇は江戸中期から商人の支援を受け、文人画を中心に質の高い作品を数多く生んだが、大阪経済が力を失うに従い支援者を失っていった。研究者も少なく、忘れられた存在になり、現在では投げ売り状態に近いという。2008/04/09 産経新聞より


財政難の大阪の状況は分かります。
しかし、どうして、研究者が少なく、忘れられた存在であるかがわからないo(;△;)o


すると、このような講演記録のPDFがありました。
関西大学創立120周年記念講演会 『大坂画壇の絵画』 中谷伸生教授

その中の「大坂画壇の評価について」にはこのようなことが書かれていました。

■従来の江戸絵画史研究は、江戸と京都の絵画史だった。とりわけ、第二次世界大戦以後の東京一極集中は、美術史学の研究そのものをも東京に集中させるという、ある種の歪みを生み出した。
■第二次世界大戦による大阪経済界の没落。
■明治維新にはじまる日本の近代社会は、江戸時代に大きな影響を受けた中国文化を放棄し、一転して西洋文化に憧れの眼差しを向けるようになった。
■中国風の文人画は評価を下げられ、とりわけ、中国的要素の濃厚な大坂の画家たちの絵画が研究対象から除外された。
■西洋志向に基づく研究のあおりを受け、江戸時代後期から近代に至る文人画及びそれと関連する絵画が、著しく低く見られることになった。
■フェノロサと岡倉天心の美術批評の価値観が、明治以降の美術史学及び美術批評に決定的な影響を与えた。


こういう状況の中、老舗料亭の花外楼で作品が飾られ、大切にされることは、作家にとって誇らしく、励みになることだったでしょうね。

そういえば、今回の展覧会も関西大学図書館所蔵のものが8点展示されていました。そして、関西大学の文学部には、芸術学美術史という専修があるようです。自分が学生の時なら、全く興味が無かった分野だけど、今ならこういう事を大学で学べるって憧れるなぁ・・・ どうか研究が進みます様に。


なにも知らなかった私ですが、なんとなくですが、ちょっと事情がわかってきました。

今年の1月10日(土)~2月22日(日)には、今回と同じ芦屋市立美術博物館で、このような展覧会が開催されていたようです。
近世大坂文人画の世界 ~関西大学コレクションを中心に~

行きたかったなぁ。今後は、芦屋市立美術博物館は要チェックだな!

 芦屋を中心とした阪神間は大阪の奥座敷と言われるように受け継がれた文化は大坂を偲ばせるものが多い地域です。なかでも床の間を飾る絵画作品は大坂画壇の作品が目立って確認されることに特徴があると言えましょう。阪神間モダニズムの中心とも言われる芦屋ですが、調度としての絵画作品は油彩画よりも日本画の、しかも煎茶とともに文人画が受入れられてきた経緯が重要と考えます。
 しかし、地域的な事情からこれら作品の調査が充分に実施されているとは言い難く、なおかつ大坂画壇の具体的な認識が進まない今日、残された作品の調査研究がますます重要になってきていると言えます。これらの事情を受けて、本館では平成18年に『大坂慕情~なにわ四条派の系譜~』、同19年には『浪華風俗を描く~菅楯彦の世界~』を順次開催してきました。本年度は近世大坂を代表する木村蒹葭堂を中心とした文人画の世界を多面的に紹介します。お笑いと金勘定の大阪と言われる昨今、静的な人生観に愉しんだ古き良き大坂文化の一側面をご覧いただければと存じます。具体的には、関西大学コレクションを中心に大坂画壇が生活の中でどのように享受されたかを作品の取り扱いや表具の知識、料亭での画会の体験(食事会)等を交えつつ、明治末年から戦前にかけての大阪(芦屋)文化を再確認できる機会となれば幸いです。
芦屋市立美術博物館 『近世大坂文人画の世界』 開催時の案内文より



※大阪で大坂画壇の展覧会が全く開催されていないわけではなく、大阪市立美術館や大阪歴史博物館、中之島図書館でも、開催されているようです。ご当地なのに規模が小さいのかな???
今後は注目してみよっと!

0 件のコメント:

コメントを投稿