2009/12/30

迎春準備

25日に大阪天満宮の終天神(しまいてんじん)に行き忘れた私・・・

昨日、大掃除がひと段落ついてからお参りに行ってきました。
すると境内は、迎春準備完了!状態になっていました(><;)



そりゃ、そうですよね。29日ですから(;^_^A
絵馬の焚き上げの25日から4日も経つと、早くも合格祈願の新しい絵馬がたくさん掛けられていました。

そして、奥では、門松の準備が行われていました。
出来上がりの門松が運ばれてくるのではなく、神社境内で作られていることに驚きました。
やはり天神さん、梅を飾るのですね。


しかし、なにやら違和感が・・・
そう!竹が斜め切りではなくて、平らに切られているのです。
帰ってから調べてみるとこのようなことでした。
 時代や文化を反映
竹に松を添えるという現在の門松の原型が出来上がったのは、室町時代になってからです。竹も長寿を象徴することから、こうしたかたちができあがったと言われています。
 竹の先は、斜めに切った「そぎ」と、節のところで真横に切った「寸胴(ずんどう)」の2種類があります。 もともとは寸胴でしたが、「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に負けた徳川家康がその戒めに竹の頭を斜めにそぎ落としたのが最初と言われています。
 武士が昔ながらの寸胴、商家がそこから発展させた派手な「そぎ」を好んだようです。現代においては「そぎ」が多数派になっています。
 また各地方において、その出来上がりの形も少しずつ変化があります。 (門松.jpより引用)


 門松には、竹の頭の切り口が平らなものと斜めのものと二つの型があります。
そのいわれは次の一説によります。
ある年の大晦日に、武田家から松平家(後の徳川家)へ次の一句が送られました。
 「松枯れて 竹類なき 明日かな」 これを見て松平から武田に返句が送られる。
 「松枯れで 武田首なき 明日かな」 松平家では、こう詠みながら門松の竹の上部を斜めに切り落としたといいます。
この時を境に、松平家の門松の竹の頭は「斜め切り」となり、徳川家康が江戸開幕後、関東ではこの型の門松が定着したとのことです。(東京都庁HPより引用)


また、「寸胴」は古来からの方法であり、伝統を重んじるところでは未だに竹は斜めに切らないと書かれているサイトもありました。

大阪天満宮の門松は、伝統を重んじて、、、ということなのでしょうか?


関西(左)と、関東(右)の門松の違いというのもあるんですね。

写真はWikipediaより

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