2009/11/15

造幣局の謎解き

造幣局の近くにある・・・
と書きかけて、全景の写真を撮るのを忘れていることに気づきました!(´Д`;)
それはまた撮りに行って追加することにして。。。



桜宮橋(銀橋)西側の橋の下を、大川沿いに自転車で走る時、造幣局の壁に「みゆき橋跡」というのがあってずっと気になっていました。




図書館で「造幣100年」という本があり、見てみると載っていました(・∀・)

明治の造幣局
1・3 創業直後
1・3・1 明治天皇の行幸
明治5年6月、大阪に行幸された明治天皇は、当時の応接所を行在所(あんざいしょ)とされて、工場各所をご覧になった。この時に、「宝貨之行如泉布」という古語を引用され、応接所に"泉布観”の号を賜わった。 
・・・
天皇は明治10年2月にも行幸されたが、この時には、精銅所の反射炉の前に椅子をよせられ、10分余の間、よう銅かくはんの作業を熱心にご覧になられた。また31年11月に行幸された時には、今の北門近くにあったつり橋をお渡りになって、泉布観におはいりになったことを記念し、この橋を”みゆき橋”と命名。その後、つり橋のあった入江は埋めたてられたが、淀川岸に降りると、その名称を刻んだ碑が見られる。



【造幣100年】昭和46年7月発行 より引用 
写真は反転していると思われたため修正しました。


この絵↓からも納得!

浪花川崎造幣寮の全景(長谷川小信 浪花川崎鋳造場之風景 明治4年)右側一部
【明治大正図誌11大阪】より引用 建物の名前は私が追記しました。

(注)この絵は、明治4年だから、まだ名前がついていない時のつり橋です。明治31年以降、「みゆき橋」になりました。

この時代にタイムスリップして、大川沿いを散歩したいな~♪


一つ謎が解けました\(^_^)/
でも、あともう一つあるのです。


旧桜宮公会堂の裏側のレンガの倉庫。この塀の外とはいえ、植え込みの土地は造幣局所有だと思われる場所に・・・


「野草の土手」と書かれた石碑が・・・



これはいったいなんなのでしょう???
気になる~(-"-;

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