2009/11/14

大阪の原形 1.7

*「大阪の原形 1」、「大阪の原形 1.5」の続きです。

「大阪の原形 2」の前に、ちょっと追加します。

歴史秘話ヒストリア「フリーをなめたらいかんぜよ!~坂本龍馬と海援隊~」
  エピソード1 金か自由か?海援隊 誕生秘話
  エピソード2 天下の大藩VS.海援隊 裏ワザくり出し大ゲンカ
  エピソード3 激動の時代 海援隊 志のゆくえ
本放送 平成21年11月11日(水)22:00~22:43 総合 全国
再放送 平成21年11月18日(水)08:15~08:58 BS2 全国
※再放送の予定は変更されることがあります。当日の新聞などでご確認ください。


最近、この歳になって歴史って面白いな~と思い始めた私にとっては、知らない話が多くて面白い番組でした。
大坂城図屏風の時のように、また縁のある所に行きたくなりました。(12日のことです)

ここは自転車で行くにはちょっと遠いのですが・・・
市立中央図書館で借りていた本を返却するついでに思い切って行きました!

しかし、途中で寄り道し過ぎて(太閤園やその他いろいろ)、着くのが遅くなり、すぐ日暮れてしまって写真があまり撮れませんでした。とほほ・・・


【土佐稲荷神社】 大阪市西区北堀江 4丁目 9-7
江戸時代、大坂の土佐藩邸は、長堀川を南北から挟んで、東は鰹座橋 、西は玉造橋までのところにありました。幕末のころは、坂本龍馬や後藤象二郎もこの鰹座橋のたもとで船を降りたそうです。(昭和45年の長堀川の埋立で鰹座橋は姿を消しましたが地名として残っています。)
土佐稲荷は古くから土佐藩邸の屋敷神(守護神)として崇められてきました。



「岩崎家旧邸址の碑」
坂本龍馬率いる海援隊で経理を担当した岩崎彌太郎。
慶応3年(1867年)11月15日(142年前の明日ですね!!!)、龍馬暗殺・・・
明治元年(1868年)、土佐藩蔵屋敷とともに土佐稲荷神社は岩崎彌太郎に譲り渡され、岩崎彌太郎は当地で事業を営み、三菱の発祥の地となりました。(三菱グループのサイトに「岩崎彌太郎物語」が載っています。)



岩崎家の家紋『三階菱』と土佐藩主山内家の家紋『三ツ柏』を組み合わせた三菱のスリーダイヤが神社の紋になっています。
お賽銭箱の社紋








あっという間に日が暮れました。。。



この↑写真、どうしてこんなに暗くなったかというと、この前に神社の東側にあるアパートを見に行っていたからです。
神社を見下ろすこのアパート。


道路から見るとこういう感じ。一部しか写っていないですが、コの字型で、すごく大きなアパートです。


旧日本住宅公団(現住宅都市整備公団)が建設した「西長堀アパート」は俗に「マンモスアパート」とよばれ、東京の晴海アパートと対をなす都心部高層賃貸住宅の最初の試みであったそうです。(たくさん写真が載っています「団地百景」)


それだけではなく!
ここで、このアパートの10階で!
土佐ゆかりの土佐稲荷神社を見下ろしながら!
司馬遼太郎氏が「竜馬がゆく」を執筆したのです~~~~!!!
※「竜馬がゆく」は、産経新聞夕刊に1962年6月21日から1966年5月19日まで連載。

住んでられたのは、昭和34年(1959)12月〜昭和39年(1964)3月まで。
この頃は、長堀川も埋め立てられず、土佐藩蔵屋敷が有った頃の地形が残っていました。
しかも、部屋は西向きの10階。大阪湾に沈む夕日もよく見えたことでしょう!
(今は、残念ながら西側に高層マンションが建ってしまい、見えないです。。。)
※当初の入居者には著名人が多く、女優の森光子さん、作詞家の石浜恒夫さん、デザイナーの鴨居羊子さんらがお住まいだったようです。

「新選組血風録」「燃えよ剣」もここで書かれたとか・・・。




より大きな地図で 土佐稲荷神社付近 を表示



いろいろ繋がって面白いです^^

明日は、一週間、待ちに待った「JIN -仁-」です。楽しみ~♪

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