2009/10/27

幕末が面白いぞ! 太閤園3

今日は、いい天気。 体調もちょっといいです。
調子がいいうちに、読みたい本を読んで、記事を書いておこうと思います^^

前の記事にも書いたのですが(こちらです)、TBS 日曜劇場「JIN -仁-」にはまっています。

キャスティングがよくて、特に内野聖陽さん演じる坂本龍馬が素晴らしい! 坂本龍馬の大ファンである武田鉄也さんは、このドラマでは緒方洪庵役で、来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」では、勝海舟役を演じられます。 今のドラマでは、小日向文世さんが、勝海舟のいい味を出してられるので、これを武田鉄也さんがどう演じるかが今から楽しみです。 また、内野龍馬がはまり過ぎていて、福山雅治さん演じる龍馬が受け入れられるかちょっと心配になってきます。。。 今秋から、来年にかけては幕末が面白いぞ^^


幕末の渦  

大阪でその渦に巻き込まれていたのが、藤田伝三郎(傳三郎)氏。
ここから太閤園の前の記事(こちらです)の続きです。



この本を読んですっかり藤田伝三郎氏のファンになりました!
※大阪から情報を発信する文化活動グループ「熟塾」のHPに、藤田伝三郎氏の生涯を知る講座をまとめた詳しいPDFがあります。(こちらです)

南海電鉄、関西電力、毎日新聞の創立、小坂鉱山の経営、児島湾の干拓など、一代で身をおこし、関西の渋沢栄一といわれた起業家なのに、現在では歴史に登場していなし、大阪ででも注目の人物になっていない。。。

これはなぜか・・・

ニセ札事件の容疑をかけられ、結果無罪だったにもかかわらず、疑いの目を向けられ続けたのです。

ニセ札事件と世間の評価
伝三郎がニセ札をつくったことは絶対の真実として喧伝され、反政府熱をあおり、金持ちに対する反感をそそのかす材料として使われた。
自由民権運動が盛んなころだったから、なんでもかんでも政府の悪口さえ言えば支持された。
これが説得力のある話題として根強く大衆の脳裏を支配した。

藤田伝三郎氏は別の手記で、この疑獄事件は薩州人が反目の対象たる長州人を叩く目的でしくんだもので、自分が「長州出身の諸氏と親交がある」ことから目をつけられ、「たまたま木村の密訴があったので、事実を精査することなしにこの挙に出た」のだと話している。


あ~、薩長がからんでる~
いろいろドロドロ渦まいていますね。。。

世間に対して植え込まれた偽りの印象は後々まで響き、藤田伝三郎氏はその後何社か会社を起こすのですが、世間の目を考えて、自分は取締役あるいは監査役にひいて、代表取締役には自分の兄にしていたそうです。


偽りの印象の植え込みというのは、現在の大阪の立場と似ているような気がしてなりません。
事実でないことも、「そのほうが面白いから」とイメージを固定されてしまう。

ここで、ぐぐっと藤田伝三郎贔屓になってしまいます^^
その状況の中、藤田伝三郎氏は、一切抗議も弁明もしないのです。

関西経済界の立役者でありながら、大阪に後世にも続く企業の種を撒き、岡山や秋田にまで事業を広げ、目先の損得ではなく大きな視野で分別した。男性特有の我こそはの自己顕示欲にはこだわらず、頑固に信念を貫き物事の行き先だけを見つめ行動し続ける実業家だった。(「熟塾」PDFより)


「毀誉は窓外の雨、褒貶は門外の風」
毀誉褒貶(きよほうへん)にまったく無頓着な性格。

傍からすると歯痒いですが、こういう方だからこそ成し得たことなのでしょう。



美術品蒐集に話は移りますが、、、
こういうことを知ると、あの温和な石仏、石像を一木一草の配置にいたるまでこだわりぬいた庭園に配置したことが分かるような気がするのです。
他人がその美術品をどう評価しようとまったく頓着せず、自分がいいと思えば言い値で買い取ったそうです。

その世間の評価というのもどの時代も曖昧なものです。今では中之島の目玉となっている中央公会堂、中之島図書館、日本銀行大阪支店も、廃墟同然、価値なしとされた時期もあるのですから。

藤田美術館が所有の国宝九点、重要文化財45点を含む5000点に及ぶコレクションは、ただ単にお金が有り余っていたから、なんでもかんでも買い集めたものではなかったようです。

「自分が美術品を愛好するのは天性のようなもので、若年のころから物数奇を両親に何度も戒められたが、この性質ばかりは直すことができなかった。明治維新を境にして旧家や寺社などが所蔵していた美術品が一時に世間にあふれ出たが、人々は功利を求めるばかりでほとんど注目せず、名品といえども瓦礫に等しい扱いをされるばかりだった。時には破壊されて金銀その他の材料だけが採取され、あるいは台所で日常雑器に用いられ、安値で海外に売られていった。日本人がわずかに注目していたのは近世の作品ぐらいである」

「私はこの状態を見て、このさい、多いに美術品を蒐集し、かたわら国宝の散逸を防ごうと考えたのである。」

「そして今や国運が発展することによって、日本の美術工芸品も内外から珍重されるところとなり、政府も十数年前から国宝の保存に努めるようになった。わが先見の誤りでなかったことは喜びで、長年蒐集してきた美術品を一定の方法と設備によって、常時公衆の展観に供したいと考えるまでにいたったが、いかんせん人事百般のことに忙しく、この希望は生きているあいだに実現できないかもしれない。」


このお宝、藤田美術館の春と秋の展示で拝むことができます。

来年の「平成22年春季展 歴史を彩る教科書に載る名品」は特に面白そうですよ。

★紫式部日記絵詞(国宝)
★曜変天目茶碗(国宝) 世界に3点しかないうちの1点!
”碗の中の宇宙” が見れるのです~~~!

それらのお宝は、この蔵の中に保管されています。




気分が乗ってきたので、もう少し書きたいと思います。
士農工商の身分制がなくなった明治維新は、前途ある若者にとって大きな可能性を秘めた絶好機でありり、長州萩城下の造り酒屋だった藤田伝三郎氏も家業を捨て、心機一転、まったく新しい事業への転機を図りました。

ここで、どうして藤田伝三郎氏は東京に行かず、商業から工業の時代の変化に順応せず、時代に遅れをとって衰退しつつある大阪に腰を据えたのでしょう。
この辺はとても面白いのですが、引用を入力するのがしんどくなってきたので、手短に。。。

『東京のようなエライ奴の多いところで気がねをするよりも、ドンナ自由行動でもとれる大阪の地が気に入った。』

なぜ東京に出て門戸を張らないのかという問いに対しは、
『その第一は、東京は純粋の商人が少なく政界を離れては商売ができないが、大阪は商人の集合地だから脇目もふらず一途に商売に従事できる。』

今、大阪の経済も低迷していますが、当たり前に思っている大阪の良さを見直すことで、なにか光が見えないかと思います。


そして、真実に基づいた「藤田伝三郎」伝記ドラマを熱望します。
さすがNHK!というようなドラマを作ってください!!!


【参考】
天保年間には、すごい人が生まれているぞ!ということも書かれていたので、歴史の復習として調べてみました。

天保元年 大久保利通
天保3年  高島嘉右衛門 古河市兵衛
天保4年 木戸孝允
天保5年 福澤諭吉 岩崎弥太郎
天保6年 坂本龍馬 井上馨 松方正義 五代友厚
天保8年 板垣退助 大倉喜八郎 川崎正蔵
天保9年 大隈重信 後藤象二郎 山縣有朋 安田善次郎
天保10年 高杉晋作 森村市左衛門
天保11年 渋沢栄一
天保12年 伊藤博文 藤田伝三郎
天保13年 伊藤忠兵衛
天保14年 井上勝 品川弥二郎


藤田伝三郎氏は、幼少時代から漢学を修め、儒教を学んだ。
愛読書は、日本外史 靖献遺言 荀子 孟子 戦国策
両親共に熱心な仏教信者で慈善の念に厚かった。

なるほど・・・


ますます、太閤園の庭園が好きになりました。









自己満足的なとりとめのない内容で、すみませんm(_ _ )m

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