2009/10/07

大阪城・エッゲンベルグ城友好城郭締結 (追記あり)

大阪城に関する嬉しいニュースです。



大阪市では、オーストリア第2の都市グラーツにある「エッゲンベルグ城」で、豊臣秀吉が亡くなる前後の大坂城と城下町を描いた、国内にも残存例のない貴重な屏風絵(「豊臣期大坂図屏風」)が発見されたことを機に、両国・両城の友好を深め、多くの人々に大阪城とエッゲンベルグ城、大阪とグラーツの魅力を発信していくため、日本・オーストリア修好140周年にあたる本年10月、「友好城郭提携」を結ぶとともに、記念事業を実施します。

■大阪市 ゆとりとみどり振興局 【報道発表資料】
 ※全体の屏風絵が載っています。
大阪城とエッゲンベルグ城(オーストリア)は「友好城郭」の提携を結び、記念事業を実施します

先日記事にしたオランダから後れること11年、1869年に日本とオーストリア・ハンガリー二重帝国との間で日墺修好通商航海条約が締結され、今年は修好140周年にあたります。

遠く離れたオーストリアの城で、国内にも残存例のない貴重な豊臣期の「大坂図屏風」が見つかるなんて。

なんという縁! 
太閤さんこと豊臣秀吉も喜ばれていることでしょう。


■大阪城天守閣 公式HP 【特別展・テーマ展】
大阪城・エッゲンベルグ城友好城郭締結記念特別展
豊臣期大坂図屏風

■Japan Today: Japan News and Discussion
Osaka Castle, Austrian palace sign agreement after discovery of folding screen
Sunday 04th October, 12:54 AM JST

英語でのニュースがあったので、エッゲンベルグ城のスペルがわかりました! 日本語のニュースでも、外国のことに関しては現地スペルが載っていると調べやすいのにな・・・

Schloss Eggenberg (Wikipedia Deutsch English)

スペルが分かると、地図でも探せる!


より大きな地図で 大阪城・エッゲンベルグ城 を表示


お金があれば、この秋は、ここに旅行に行きた~い♪
(ないから絶対無理なのですが、ポジティブに明るく書いてみました。。。)


【追記】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
10月31日NHKのBS特集で、「新発見!大阪図屏風のなぞ」(仮)が放送されます。これは絶対見なきゃ!!!豊臣時代の大阪城下を描いた屏風は、エッゲンベルグ城の「インドの間」と言われていた小部屋の壁紙になっていて、「インドの間」は現在では「日本の間」に変更されているそうです。
こちら↓↓↓のブログで詳しく書かれています。
エッゲンベルグ城〜大阪図屏風撮影風景 -
*帰国後、ブログ更新がなくお忙しそうなので、リンク許可を頂いていません。。。 どうかお許しくださいm(_ _ )m
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余談ですが、、、
大阪城天守閣は、ネットの中の一部では、「大阪城ビルディング」とか、鉄骨鉄筋コンクリート造りであることでさんざんなことが書かれています。

豊臣・徳川時代は、木造がその当時の最高の建築工法でした。それらが焼失し、昭和に、災害にも強い最新・最高の建築工法の鉄骨鉄筋コンクリートで一から再建したというのも、大阪城の一つの歴史だと思います。
なにより、大阪城の再建を語るにあたって重要なのは、市民の寄付金によって復興したということなのに、けなす人は、知ってか知らずか、このことに触れようとしません。

誰の力があって建った?
豊臣秀吉→徳川家康→大阪市民

誰が建てた?(よくあるいじわる質問)
大工→大工→建築作業員

工法は?
木造→木造→鉄骨鉄筋コンクリート

こういう歴史があり、今もなお誇れる城だと私は思ってます。

将来、もし核でぶっ飛んでも、大阪市民(府民)はその時代の最新・最高工法でまた再建するでしょう。


【大阪城天守閣の再建】
豊臣秀吉の大阪城天守閣は夏の陣で焼失、徳川時代の再建天守閣も落雷で焼け落ち、以後260余年間、大阪城に天守閣はなかった。 昭和3年の御大典記念事業として天守閣の復興案が市会で議決され、多くの市民の支持を得て建設資金の募金運動が始まり、全額市民の寄付金によって大阪城天守閣はみごとに復興した。
大阪城天守閣は、当時としては最新の建築工法である鉄骨鉄筋コンクリート造りを採用し昭和5年5月に着工。復興天守閣は「大阪夏の陣図屏風」の外観のほか、細部は桃山時代のものを参考にしてつくられ、近代の天守閣再建のモデルとして昭和6年11月7日に竣工した。


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