2009/10/05

巨大アヒルちゃん 大坂とオランダ 江戸時代

巨大アヒルちゃんシリーズ、もういい加減やめようかとも思ったのですが、下書きのまま(←こういうのが結構多い・・・)終わらせるのももったいないので、書き上げようと思います。

大阪の「阪」が、「坂」と書かれることが多かった江戸時代のオランダとの関係について、私が興味を持ったことをちょこちょこっと。
(一般的なことは、Wikipediaの日蘭関係をどうぞ。)

まずは、年表!
ヨーロッパ人が始めて日本に来たはいっだっけ?

1543 種子島にポルトガル船が漂着。
1600 オランダの商船リーフデ号が、豊後(大分県)に漂着(関ヶ原の戦いの年)
     家康はリーフデ号の備砲や砲員を関が原の戦いに活用したのだとか。
1609 徳川家康により日蘭貿易が開始(2009年400周年)
1616 鎖国政策を開始(-1858まで)
     ヨーロッパとの貿易は、オランダのみ。

1858 日蘭通商修好条約締結 (2008年150周年)



国交となると、まず言葉ですよね。言葉!
1543年に、ポルトガル船が漂着した時には、ポルトガル人と明国人が乗っていて、明国人との間では漢文による意思疎通が可能であったためなんとかなったそうです。

その後、オランダ人が来た時も、中国語を媒介語にして、交易を始めたのだとか・・・

身振り手振り、大変だったでしょうね。


その後長崎では、オランダ語を習得した徳川幕府直属で鎖国二百年間翻訳通訳を独占した阿蘭陀通詞という地役人がいたそうです。
長崎の吉雄家は代々オランダ通詞を勤めた家系で、吉雄耕牛の師弟関係で大坂の蘭学者にたどりつけます。

吉雄耕牛(1724年-1800)
 ↓
杉田玄白(1733-1817)、前野良沢(1723-1803) 『解体新書』の翻訳
 ↓
大槻玄沢(1757-1827) 「芝蘭堂塾」
 ↓
橋本宗吉(1763-1836)
大坂蘭学の基礎を築いた人物

この橋本宗吉、大坂北堀江で傘屋の紋描き職人をしていたそうですが、蘭学を志しても蘭書を読めない蘭方医(小石元俊)、天文学者(間重富)にオランダ語学習に適した青年と見出され、江戸の大槻玄沢の元に留学に出されたそうです。
わずか4ヵ月でオランダ語4万語を暗記したという、、、すごい人。

傘屋の職人から一転し、帰坂後は、医を業とし、蘭学塾絲漢堂を開き、オランダの医書、天文・地理書を翻訳されていたそうです。

面白いのが、この方、エレキテル(電気)の研究も行い、「日本の電気学の祖」とも呼ばれているのです。

何が面白いか!
ここ数年、テレビでもおなじみの米村でんじろう先生のパフォーマンス実験。その中で、手をつないだ大勢の人を、静電気でいっぺんに感電させるという
『百人おどし(百人おびえ)』があります。

これは、橋本宗吉が始めたことで、今日の科学手品のハシリともいえるさまざまな科学実験を演じていたそうです。
こちら↓にも載っています。
TDK Techno Magazine|じしゃく忍法帳|
  第76回「江戸時代の電磁気実験」の巻


こういう人がいたとは、知りませんでした。
この橋本宗吉さんの蘭学塾絲漢堂の門下生に、中天遊がいて、この中天遊を師としたのが、緒方洪庵です。

橋本宗吉(1763-1836)「蘭学塾絲漢堂」
 ↓
中天遊 「思々斎塾」
 ↓
緒方洪庵(1810-1863) 「適塾」

幕末における日本蘭医学の第一人者と仰がれた緒方洪庵が、ここで登場!

若かりし頃は、↓


おっと、これは、NHK土曜時代劇『浪花の華 ~緒方洪庵事件帳~ 』のポスターでした。2009年1月から3月まで放送され、その中には、もちろんオランダ語を学ぶシーンもありました。

実際の緒方洪庵の像はこちらです。


水都大阪2009の水の回廊・まちなか会場にもなっている「適塾」(重要文化財)




ここは「適塾」の隣にある愛珠幼稚園。


その幼稚園の入り口には、「銅座の跡」の碑が立っています。これって、オランダと関係があるのです。
日本からオランダへ輸出された物産に銅があり、幕府は、銅貿易の発展と管理・統制をおこなうために大坂に銅座をおきました。その場所がここなのです。(愛珠幼稚園の建物も古いものですが、銅座の建物ではありません。)
諸国の銅山で産出した銅は銅座が買いあげ、銅吹屋により精錬された後、長崎に回送されてオランダとの交易に使われました。


この幼稚園の北側部分はオランダ人が大坂へきたときの宿があり、この一帯はオランダと大坂の密接な関係を示す歴史的な地域であったようです。



ごくごく簡単ですが、リーフデ号が漂着してから、緒方洪庵までを繋げられました。自己満足~^^
リーフデ号のオランダ語「Liefde」は日本語の「愛」を意味する単語。

オランダから、最初の「愛」が豊後に漂着してから、巨大アヒルちゃんという「愛」が大阪に旅して来るまで、大坂(大阪)とオランダはいろいろな関わりがあったのですが、そのことはまたいずれ。

実際にその跡を辿って写真を撮ってから、いつか記事にしたいと思います。


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