2009/08/16

四天王寺 英霊堂

NHKの番組のことで、ヾ(*`Д´*)ノ"彡☆ ケシカラン!!と怒っているうちに「終戦の日」が終わってしまいました。

そんな中、「畿内國和御魂ブログ」の幸玉さんが、「大阪;四天王寺「つり鐘ばなし」」という記事を書かれました。

私も「終戦の日」には四天王寺の英霊堂のことを記事にしようと思っていたのですが、怒っているうちにすっかり忘れてしまいました。書いたとしても、心がざわざわしている中、まともな記事は書けなかったと思います。。。

心穏やかにご先祖様のご供養に四天王寺に行かれた幸玉さんの記事を読ませて頂いて、なんだか心も静まりました。あぁ、落ち着いたら釣鐘まんじゅうが食べたくなりました~(^∇^)

幸玉さんは写真を載せられていなかったので、よければ英霊堂の昔と今の写真をご覧ください。

「英霊堂」は、明治三十九年(1906)創建。当初は、聖徳太子の偉業を奉讃する「頌徳鐘楼」として建立されました。

【写真は 「311 ふるさとの想い出写真集 明治 大正 昭和 大阪(下)」 島田清編 国書刊行会発行 より引用】

頌徳鐘は聖徳太子一千三百年の御遠忌記念として鋳造された百五十七トンの世界一の大梵鐘です。

【四天王寺絵葉書 四天王寺発行 個人所蔵】

大梵鐘は第二次世界大戦中に供出され、戦後は世界の平和を祈り、国のため我が身を捧げられた英霊を祀るお堂として「英霊堂」と改名されました。
ご本尊は、比叡山西塔黒谷よりもたらされた阿弥陀如来像です。遷座されるにあたり、お堂の柱はそのまま、まわりに壁が張り巡らされました。






六時堂の東側にあった普賢菩薩銅像(昭和四年建立)。この像も戦時供出されました。亀の上の象の上の普賢菩薩像は、四天王寺ならではの像でしょうか?珍しいと思うのですが・・・

【古絵葉書 個人所蔵】

歴史的に古いものではありませんが、当時の人々の信仰があったものです。
こういうものまでものが戦争で武器に変わったかと思うと心が痛みます。

こういうものだけでなく、結局は昭和二十年三月十三日の大阪大空襲には伽藍のほとんどが灰燼に帰したわけで・・・・
たくさんの人の尊い命が失われ・・・

「大阪の仏壇」といわれる四天王寺。
今の復興に至るまで、どれだけ多くの人の信仰の心があったか。

何の歴史も知らない人達に、「鉄筋コンクリートのお寺」と頭ごなしにバカにされたくありません!



あっ、結局また怒り出した(><;)
いけない、いけない。

大阪のよさをわかってもらえるよう、微力でもブログを書き続けようと思います。

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