2009/03/24

桐が見た~い!

昨日、大阪城に行ったのは、、、

ウルトラサイダーの記念撮影のためではありません(;^_^A
実は、「桐」の木を探しに行ったのです!

最近では、ブログ友達の羽美ちゃんの記事に出て来ました。
日本国政府を表す紋章 「五七桐」


私が書いた鳳凰の記事の時にも出て来ました。(こちらです)
表彰状(certificate of achievement)の枠の図案


そして、500円硬貨 
図柄 表面:桐(きり)  裏面:笹(ささ)、橘(たちばな)

写真はWikipediaより


デザインされた桐は身近にあるけど、
実際の桐の木、葉、花を見たことがありません( ̄□ ̄;)!!

見たい! 見たい! 
と思っていたら、なんと大阪城にあるとの情報をキャッチ!

それで昨日大阪城に行ったのです(^-^)/
枝だけで、花も蕾の状態でしたがありました!!!




秀吉公も好んだ桐の花
大阪城天守閣の北側、一段低くあまり日当たりのよくない山里丸にキリの大木が約30本、ケヤキやクスノキ、イチョウなどの樹木の間に生い茂っています。これらのキリに毎年、4月下旬から5月上旬にかけて薄紫色の花が美しく咲きそろいます。緑色の葉をスカートのように腰につけて3本の花芯が天に伸びていく、この姿が桐紋の原形であり、一般に豊臣家のシンボルと認識されています。桐紋を豊臣家の家紋とみなすには問題がありますが、桃山時代に「五三」「五七」などの桐紋やさまざまな桐文様が大流行した事実と、その発端を秀吉公の桐紋愛好に求める説は無視できません。なお、現在の桐は昭和40年の極楽橋再架以後に植樹されたものです。
《『大阪城秘ストリー』渡辺武著・東方出版・1996》
出世開運の神様 豊國神社ホームページ - 秀吉公について - より引用


約30本と書かれていますが、2本しか見つけられませんでした。比較的低いところに蕾がついているので、花が咲いても見やすそうです。





4月下旬から5月上旬にかけて薄紫色の花が咲くそうです。この蕾や、房からしてもかなり大きそうです。楽しみ~♪ その頃に大阪城に来られる方はぜひ「刻印石広場」(山里丸)に寄ってみてくださいね。極楽橋を渡ったところです。 私も写真を撮って記事にします!!!


豊臣秀吉の大阪城。建物に桐紋はついているのでしょうか?
今まで撮った写真を拡大してみたところ、ありました!!!

【天守閣】
最初の大坂城天守閣は、天正11年(1583年)に豊臣秀吉によって創建されたが、大坂夏の陣(1615年)で焼失。
二代目は寛永3年(1626年)に徳川幕府によって現在の天守台の位地に築かれたが、これも寛文5年(1665年)に落雷で焼失。
現在の天守閣は、昭和6年(1931年)に、「大坂夏の陣図屏風」の豊臣時代天守閣図をモデルに復興。






【桜門】
徳川時代の本丸再築の寛永3年(1626年)に築かれた。
明治維新の城中大火(1868年)で焼失。
現在のものはその後明治20年(1887年)に再築。



五七桐の紋にして再築したなんて、徳川幕府が怒ってきそうですね(゜д゜;)


瓦の留蓋(とめぶた)の飾りも五七桐になっていて、凝っています。


【六番櫓(ろくばんやぐら)】
創建は寛永5年(1628年)。(江戸時代)
天保年間(1830年代)に大修理。(江戸時代)






大阪城は、豊臣秀吉によって築かれ、豊臣政権の本拠地となりましたが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失してしまいました。後に徳川幕府によって再建されたときには、全体に数メートルの盛り土をした上により高く石垣が積まれたので、豊臣大阪城の遺構は地中に埋もれてしまいました。また、天守など建物も構造を踏襲せずに造り変えられました。六番櫓に徳川の葵の紋がついているのは、このためです。

江戸時代の徳川大阪城の建物か、明治以降に再建された建物かは、紋を見れば分かる・・・と判断してもいいのかな?

このことは、自分の目で確かめていこうと思います。
私のカメラでは遠くまできれいに写らないから、写真の記事にするのは難しいかな・・・ カメラに限界を感じる今日この頃(ノ_-。)

でも、大阪城での楽しみがひとつ増えて嬉しいです(^-^)/


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